ごきげんよう!さわこです
アドベンチストライフの8月号が届きました。
「人間の悲惨は、神を愛することも隣人を愛することもできないというところにあります。
神も人も無視して自己中心的に生きようとする、ここに人間の罪と死があります。
偽善は、表面を誤魔化すこと。
弱くても強そうにし、愛がなくてもいかにも愛があるように見せかけます。」
という文章に目が留まりました。
そうなのです!いかにも弱そうにして、人の同情を引こうとしたり、人のやさしさに付け込んで、人を操作したり・・・という方法さえも用いるのです。
また、同情がありそうに見える言葉を用いる、雰囲気を装うなど、愛があるような見せかけも得意です。どこからどこまでが演技なのか、保身術なのか、分からなくなってしまいます。自分をもごまかしてしまうのです。罪は巧妙に自分自身を騙すことから始めます。
このような方法は、小さい人も大きい人も無意識のうちにしてしまうことがあります。
でも、神様は、そんな私たちの哀しい罪の性質をご存知でいらっしゃるのです。
安息日学校の分級の小学生(4-6年)クラスを持っています。
夏休み、冬休み、春休みなどには、都会の教会から帰省する子どもたちが加わります。
「小学校上級用イエス様といっしょ聖書物語6」同じテキストです。
今回は第6課「神様の家」を輪読してもらって、大切な所に線を引いてもらい、問題をときました。
さて、今日の学びをきっかけとして発展した質問をしてみました。
「夜寝るときに、お祈りをするでしょう?一日を振り返って神さまにごめんなさいをすることがありますか?」とたずねましたら、6年生のまほちゃんが
「悪いことだと分かっていながらしてしまったことがある時にします」
と答えました。すると、5年生のけいくんが
「嘘をついたときがあります」
一人の子どもが正直に心を開くと、その正直さは良い意味で伝染するのです。
正直な心を真っ先に開いてくれたまほちゃん、聖霊様が働いてくださいましたね。
「悪い事をしても、嘘をついても、神様にごめんなさいってお断りしたら、神様はゆるししてくださる?だめだ、ゆるさないっておっしゃる?」
とわざと質問してみると「ゆるしてくださる!」と3人から返ってきました。
すると、4年生のみかちゃんが困ったような表情で私を見ているので、
「どんな善くないことをしてしまったのかもわからないって思っているの?」
と尋ねると、ほっとしたように「うん」と言いました。
「分からない時には、神様ごめんなさいって言えないね」
「うん」
「じゃあ、どうしたら、わかるんだろうね?」
「神様に、教えてくださいってお祈りをしたらいいの」
なんと、パーフェクトな答えでしょうか!
「そう!素晴らしいお祈りね。神様はすぐに教えてくださることもあるし、何日かかかることもあるけれど、そのお祈りには必ず答えてくださいますよ」
みかちゃんは、夏休みでおばあちゃんのいる町に帰って来ていたのでした。
私は4年生からの担当ですから、このたび初めて担当したのでした。
私のクラスの子どもは、皆、ご両親が信仰を持っています。
アドベンチストの2代目、3代目、4代目の子どもたち。
福音の真髄がいつのまにか身についているのです。
「さて、終わりのお祈りを今日は誰にしてもらおうかな。
そうだ、みかちゃんは、はじめて私のクラスに来てくれたから、みかちゃんにお祈りをしてもらいたいな。はずかしい?だいじょうぶ?」
みかちゃんは大きな目で恥ずかしそうに私を見ていましたが、目を閉じてお祈りをしてくれました。今日の分級が楽しかったとお祈りしてくれました。
マラナ・タ
夏休みの私の楽しみの一つです。
みかちゃん、まほちゃん、次の長いお休みにはまた帰って来てね。
けいくんも新しい仲間との分級は楽しかったね。
お休みだったももちゃんも、まゆちゃんも次は一緒に学びましょうね。