ごきげんよう!さわこです
やんちゃが過ぎるお孫さんに悩んでいる友がいます。
あるとき、「これって、遺伝かしら?」と彼女がため息をつきました。
彼女の子どものことを思って口に出した言葉でしょうか?
子どもの連れ合いのことを思ったのでしょうか?
つまり、お孫さんの親のことを思いながら出た言葉だったのでしょうか?
つい、私は、こう言ってしまいました。
「あなた、心当たりがおありになるの?」
彼女は、はっと気づかれたようで、
「そうよ。自分の子供時代を振り返ったら、心当たり・・・無くはないわね」
とにこやかになりました。
私は、常々、考えているのよ、と友に話しました。
1人の人には、父と母、2人の親。
その親には、それぞれ2人ずつで4人の親。
4人の親にも、それぞれ2人ずつで8人の親。
8人の親にも、それぞれ2人ずつで、16人の親。
16人の親にも、それぞれ2人ずつで、32人の親。
4代までさかのぼると32人の親の数になるのですね。
5代までさかのぼると、64人。
6代までさかのぼると、128人。
7代までさかのぼると、256人。
8代までさかのぼると、512人。
9代までさかのぼると、1024人。
10代までさかのぼると、2048人。
計算はあっているかしら。
さて、お孫さんは10代前の2048人の中の誰に似たのかしら?
あなたは、8代前の512人の中の誰に似たのかしら?
はっきりと言えることは、止むことなく続いてきた命のバトン。
だから、今、生きている人は皆「やんごとなきお方、やんごとなき一族」の末裔ということですね。生命力があり、幸いな巡りに導かれて、今、ここに命がつながって、存在している。
一人の人の、この性格、この個性、誰からの遺伝やら、分からないのではないでしょうか?
ドラマの中では、お姑さんが、「孫がカクカクシカジカなのは、嫁のせいよ!」(笑)
「この子の父は、お姑さんの息子だから、夫がカクカクシカジカなのは、お姑さんのせいよ!」(笑)
問題があれば、犯人探し。世間から羨ましく思われるようであれば、自慢の花が咲く。
誰かのせいにするには、容疑者が多すぎる。誰かのおかげにするにも、候補者が多すぎる。
とどのつまりは、遺伝って、こういうことでしょうか。
最後の最後まで、さかのぼれば「アダムとエバ」に行きつくのでしょうね。
アダムとエバは、神様に「極めてよく」造っていただいたのに、サタンに誘惑されて、「罪」なる性質が介入してしまった。罪は侵入者。
そして、今に続いているのですね。
「罪の支払う報酬は死である」と聖書は言っています。
神様に、罪を赦されるならば、永遠の命につながります。
私たち、人間は大人も子供も、クリスチャンもそうでない人も、完全な人はいないのですから、赦し合い、助け合い、支え合って生きて行くのです。
それが、神様の仰る隣人愛を持つということですよね。
私たちは、正しく愛することができません。溺愛してしまったり、厳しすぎたり。
「神様におまかせしました!」と言って、放任、放置することは無責任の極み。
神様にお任せするとは、そういうことでもないのですよね。
どうしたら、よいのやら、迷うことばかりです。
とどのつまりは、「神様、正しい知恵を与えてください。確かな識別力を与えてください。」と神様におすがりして祈るしかないのが、不完全な人間の出来うる最善の方法ではないでしょうか。
安息日学校、安息日礼拝、祈祷会、さまざまな修養会。
毎朝の、個人的なお祈りの時間と聖書を読む時間。就寝前の夕べの祈り。
そういうことを優先する日常生活を送りたいと願って心がけています。
「私の力ではなく、神様の力である神様の恵みによって、神様の願われる生活を過ごすことができますように。私の心の思いを神様におささげしますので、どうか清めて下さい。」
と、私は祈るしかないのです。きっと、どなたも皆、同じじゃないでしょうか。
やんちゃなお孫さんとの接し方に対しても、子供さん夫婦との教育法やしつけ方の違いもあって、ギクシャクすることもあるのでしょうね。
そういう時にこそ、神様からの愛と知恵を注いでいただいて、自分の意見を伝える時にも、
「神様、穏やかな言葉選びができますように助けてください」と祈りましょうよ。
生前、母がよく言っていました。
「私、小さい頃は、怒りん坊だったの。すると、おじいちゃん(母の父のこと)がね、『腹が立った時には、十、数を数えよ』って諭されたものだったわ。私はね『十も数えていたら、何を怒っていたのか、忘れてしまうから、いやだ!』『それがいいのさ』。おじいちゃんは、浄土真宗の信者だった。私はクリスチャンになったけど、だからこそ、そのアドバイスがわかるようになったのよ。十、数えるってことは、ただ1,2,3・・・だけでなくって、神様に十秒の短いお祈りをささげて、怒りの心を静めていただくことなのよ」
小学校低学年のころまでは、叱られた記憶は多いけれど、それ以降は、感情的に叱られることはなかったなあ、と思います。母は祖父の教えを意識するようになっていたのかもしれません。
マラナ・タ
咄嗟に、何をどう言い聞かしたらよいやら、やんちゃな子供の前に悩むこともありますが、
十秒のお祈りをして神様に助けを求めましょうよ、が私たちの出した結論でした。