ごきげんよう!さわこです

 

ある方が「祈り方がわかりません」とおっしゃいました。

とても正直な方だと思いました。

その祈りをそのまま神様にイエス様の御名によっておささげするならば、聖霊様が働いてその方の願いは聞かれると信じます。

私も信仰を持った当初、自分の個人的な悩みや願いばかり、訴えていました。

でも、その願いがなかなかかなえられなくて、私の祈りは神様の御心にかなっていないのではないだろうか?間違えた祈りをささげているのだろうか?

そういう疑問がふつふつと湧いてきました。

何をどう祈れば神様の御心に適うのだろうか、祈りの本を何冊読んだことでしょうか。

神様は、いつも時にかなった祈りの本をくださって私の祈りにお答えくださいました。

そして何より、聖書の中から祈りを教えてくださいました。

 

福音社 「最も祝福された21の祈り」デイブ・アーリー 著  根本愛一 訳

この本は2009年5月1日 発行。

私の祈りの本の中では、比較的新しいものです。

私は1990年10月20日にバプテスマを受けていますので、信仰を持って18年目に与えられた本です。

 

ある方の「祈り方がわからない」との言葉に、最初に思ったのがこの本でした。

あらためて読み返しながら、順々にまとめつつ祈りについて思いを深めて行きたいと思います。

 

この本から第4章、第5章から、ギデオンとハンナの祈りを紹介します。

 

第4章

ギデオンの祈りより

「わたしにしるしを見せてください。」

①     人生において確証の「しるし」を必要とする時があるが、非常にまれである。聖書の中で「しるし」が与えられているのは困難を伴う宣教の働きに召されている時です。

 

②     神の「しるし」は往々にしてギリギリの状態で与えられる。

 

③     神からの召命は、かなり以前から心の中に「夢」「宿命」「願望」として書き込まれていることに気づく。

 

④     すべての「しるし」が神の言葉、教えと合致するか注意深く吟味すべきである。

 

⑤     あなたの歩む道に確かな確証の「しるし」が必要なら、ギデオンのように神にしるしを求めてみよう。

 

第5章

ハンナの祈りより

ハンナはイスラエルと神との関係を修復したいと心から願っていたのではないでしょうか。何とかしたいという長年の彼女の思いを成し遂げるための「男の子」を願い求めたのです。

その男の子が預言者として成長するならば、神から離れて放縦の生活をしている民を愛の神に立ち帰らせる働きができるかもしれません。そして神はそれに答えられました。

 

・     ハンナの祈りはすぐには答えられませんでした。

   そんなハンナの祈りに見られるいくつかの特徴

 

①     祈りがすぐには答えられない一つの祝福は、動機が精錬されること。

・     私たちの真摯で熱心な祈りの中にも少しの自我はあります。

   私たちがその自我を認めた時、神は答えを用意される。

 

・     ハンナにも我が子を抱きたいという自我がありました。

   しかし、その願いに止まらず、神の御心を民に知らせる働きのために

   我が子を神に捧げたいと祈った。

 

②     粘り強い信仰

・     不当に扱われたやもめの譬え話・・・諦めずに祈り続けるという譬え。

 

③     痛みを伴う真剣さ

・     ハンナはたまりにたまった憂いが心の奥深くから噴き出し、言葉を越えた強い思いから祈ったのです。心の奥深くに隠している思いを神の前にさらすことには痛みが伴います。恐れ、決断、決意が伴います。彼女はすべてを投げ出す真剣さで神と対峙したのです。

 

④     断食による嘆願としての祈り

・     最近、断食について多くのことが書かれています。著者の経験からすると、祈りの状況や聖霊が食べ物を禁じるなら、断食をする意味があり、そうしながら祈った時に、神から最も素晴らしい応答を得ることができました。ハンナも同様でした。

 

・     神は、私たちの魂に純粋で精錬された動機を与えたいと願っており、与えることのできるお方です。

 

・     心の奥深くにある神に対する最大の願いが何であるかをハッキリと確認し、断食しながら、正直に、真剣に、そして神が聞き入れてくださるまで執拗に祈ってみてください。

 

・     もし、あなたの願いがあなたにとって最善でないのなら、神はその祈りを聞き入れられません。

 

・     また、不純な動機が願いに含まれていたら、それが精錬されるまで神は待たれるかもしれません。

 

・     しかし、その願いが純粋で神の御心に適うなら、ハンナのように素晴らしい祝福を得るでしょう。

 

マラナ・タ

祈りの過程で神は祈る人をきよめてくださるので、自我を捨てさることができるようになる。

自我を捨て去り、自分の願いが、人々を神に立ち帰らせ、神の栄光をたたえることにつながるような祈りへと深められる。私的な祈りが公的な祈りへと広がっていく。

聖霊の助けによって、諦めないで祈る忍耐強い祈りとなっていく。

主よ、どうか、そのような祈りの人へ私が成長するように導いてください。