ごきげんよう!さわこです

今朝、真理の霊である聖霊様について思い巡らせながらパソコンに向かっていると、信仰の友から電話が入りました。

今週末、教会で予定されている“デボーション集会”の最終確認でした。

子供時代からよく知っている親子ほど年の離れた彼女の「デボーション集会が何故、今、大事なのか」という考えを聞かせてもらって「アーメン!」それは、ここ10年以上、私が気づかされてきたことと同じだったからです。

しばし、語り合い、彼女は集会の準備の買い物に、私は主婦業に。

昼食の片づけを終えて、再びパソコンを開きました。

 

「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。」 ヨハネ16:13

 

聖書の真理、人生の真理をことごとく悟るのは“聖霊”によるのだ・・・他の何ものでもない聖霊様によるのだ・・・彼女との熱い会話を思いました。

聖霊なる神様が彼女と私の霊を燃やしてくださっていました。

 

「世はあなたたちをも私をも憎み迫害するが、私が去っていくのは、あなたがたのためになる」とのイエス様の言葉を聞いて、弟子たちは自分の耳を疑ったのではないでしょうか。不安が押し寄せたのではないでしょうか。

 

子どもは、親から離れるとき不安になります。

私も幼稚園に入った時、母から離れるのが嫌で、先生や母を困らせたものでした。

大学に入学した時でさえ、私を置いて帰る母の背中を見送りながら涙を流したものでした。結婚してからも、「母が死んだらどうしよう・・・」と想像しただけで泣いてしまいました。私が特に母親っ子であったわけではありません。

若い時代は、クールに親を批判していました。ただ、それは心の中の世界であって、見える形で親に反発したり反抗したりはしませんでしたから、母をして「あなたには反抗期がなかった」とまで言わしめてしまうところの、問題のない問題児でありました。

結婚して家庭を持って、子育てが始まり、夫が事業を始めてからは毎日が不安と隣り合わせでした。続出する問題の解決に頭を悩ませ、心を砕き、心身はへとへとでした。

 

時にかなった病も頂き、未だ解決にはほど遠い問題も抱えながら、人並みの苦労を体験させて頂いて来て、今があります。

 

キリスト信仰を頂いてからは「聖霊が来て助けてくださるとのイエス様の約束」を、危機の時にはいつも思い出すようになりました。

 

 イエス様が「わたしが去って行くことは、あなたがたのためになる」(ヨハ16:7)と語られたとき、弟子たちはどうだったでしょうか?

イエス様の奇跡を目撃し、直接に教えを受けていたのに、主がおられなくなってしまうのです。

子供が親から離れる不安にも増した動揺が弟子たちの心に走ったのではないでしょうか。

しかし、イエスは助け主なる聖霊が来られると言われました。

 

地上の生活の終わりが近づくとイエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、私をも信じなさい」と言って弟子たちにご自身の死と昇天について語られ始めました。

それは、今日、惜別説教と呼ばれています。(ヨハネ14―17章)その中で16章は聖霊の働きについて詳しく語られています。

聖霊は教え、あかしし、導いてくださいます。

神が差し出された新しいいのちを受け入れた人には聖霊が与えられます。

聖霊は信じる人の内に住んで多くのことをなさいます。

私たちの罪を示し、悔い改めに導かれます。

困難に耐える力や神の教えを理解する知恵、そして、人々への愛を与えられます。

痛む心を慰め、信仰と希望をくださいます。

 

イエスが助け主を送ってくださったことの何よりの証拠を私たちクリスチャンは、日々の暮らしの中で体験しているのです。

そのことを自覚し感じることのできることを喜びましょう。 

それは、紛れもない神様のお約束でありますが、それが見える形でないからといって、信じることを拒む人もいます。

 

見えなくても、自分の願う方法で体験できなくても、信じることのできる者であることを喜びましょう。

 

イエス様のお言葉 ヨハネ16:7~14

1節1節を繰り返しながら、ゆっくりと読みました。

 

しかし、実を言うと、わたしが去っていくのは、あなたがたのためになる。

わたしが去っていかなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。

わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。

その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。

罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと。

義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること。

また裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。

言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。

しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。

その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。

その方はわたしに栄光を与える。

わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。

 

天のお父さまは私たちを救うため御子を遣わされました。

救われた人に自分自身の過ちを指摘し、慰めを与るために 聖霊を送られました。

その愛を感謝し、御名をほめたたえます。

聖霊はイエスに従う者を満たしてくださいます。

私たち、それぞれが聖霊に豊かに満たされることによって、ひとつ心にしていただけます。

私たちが一つになる時、聖霊は大きく強く働かれます。そして伝道が推進されるのです。

 

私は、伝道は神様のなされることとの思いを強めています。

私たちの熱心な行動によるのではなく、私たちの熱心とは、

イエス様のこころと一つになりたいと強く願い求めること、それだけではないのかと。

 

それを第三者によって「伝道熱心ね」と仮に評価されたとしても、

当事者は、「いいえ、ただ、聖霊様の風に乗っただけです」としか、

返事のしようもないのでしょうね。

 

マラナ・タ

今日は、備えの日。

デボーション集会の夕食のおかずをマクロビオティックで一品用意します。