ごきげんよう!さわこです  

昨日、安息日学校の恵みタイムの時間に腹話術をさせて頂きました。

台本は、私の新作。「マラナ・タ イエス様 来てください」 

 

新しい牧師が赴任されたり、新しい信徒が増えたりすると、「いったいどうして腹話術を?」

との質問を受けます。

あまりに長い物語なので、とても一口には話せません。

2015年6月に、その顛末をまとめていましたので、紹介したいと思います。

 

両親が相次いで大病になったことがきっかけで、○○年前、クロビオティックにはまりました。のしかかってくる不安のなかで「食生活改善作戦だ!」と天からの啓示のように思ったのでした。

夫に「玄米菜食に切り替えたい」と話すと、「いいんじゃないか」 即実行!!!!!!

マクロビ関係の本を読んでいるうちに「断食」にあこがれるようになりました。
ひとりで、何度か、チャレンジしたけれど、無理!無理 ! とても無理 !
食べるの大好き、作るの大好き。しかも家族がいるのですから。

今から、10年くらい前、ノンクリスチャンの友人が「座禅断食」情報を持ってきてくれました。

行く! 行く! 二つ返事で、彼女の車に、布団と着替えを積んで、
夫の許可も得て、二泊三日の座禅断食に参加となりました。

主催者は、お寺の若い僧侶。
憧れの断食!
しかも、私は中学生の頃から、弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺にある仏像で、国宝の第一号。このお寺が、秦河勝によって建てられた元々はキリスト教お寺であったことを後に知ることになります)に恋焦がれていましたから、もちろん、座禅にも憧れていました。二つの憧れがドッキングしていますもの。こんなグッドな情報に飛びつかない手はありません。

かくして、クリスチャンの私が、お寺の僧侶の元に、座禅断食を学びに行ったわけなのです。その勇気が与えられたことが不思議です。
二泊三日の座禅断食を、一か月おきに、三回繰り返しました。
はじめのころは、座禅の呼吸法もわからなくて、苦労しました。
三回目を終えた頃には、ようやくそのコツもつかみました。


そして、それ以来、目覚めたらすぐに布団の上で、座禅を組みます。
ゆっくりゆっくり、丹田呼吸。時間は15分。
どのくらいゆっくりかというと、
吐いて吸って、1回と数えて、70から80回数えたら、だいたい、15分。

お坊さんには、ゆっくり数を数えることに専念するようにと教わりました。
数を数えることだけで、邪念が消えると言いますが、気持ちがさ迷い出ることがなくなるらしい。
座禅での丹田呼吸のタイミングをつかむまでは、その方法に徹しました。

コツがわかってからは、この至福の「無」ともいえる境地を神様にだけ、ひたすら思いを向ける時間としてお捧げするようになりました。


沈黙の祈り。

「イエス・キリスト」
「愛します」
「赦しを感謝します」
「イエス様の十字架、我がためなり」
「主、主、恵みあり、憐れみあり」
「主よ、主イエス・キリストよ、あなたを信じます」
「マラナ・タ」
など、短い祈りの言葉を言う時もあります。


何も言わないで、私の体を頭から足先まで、神様の恵みが流れていること。
神様の命が流れていること。
私の細胞の一つ一つに神様が命を運んでくださっている。
それを集中して意識するという至福の時を体験します。


それから4年の時が過ぎて、座禅での丹田呼吸が習慣となったころ、
SDAではない日曜日の教会の牧師から、腹話術のお誘いがありました。
 

座禅断食に挑戦する4年ほど前に、その当時の牧師夫人にパペット人形作りを指導してもらい、人形がんこちゃんを制作して教会の子ども集会で活用してきていましたが、お腹から声を出すことが、難しく腹話術はとうに諦めていたのでした。
でも神様は「行きなさい」と背中を押してくれました。

神様は、座禅を通して、次には日曜日の教会を通して、私が腹話術をするように準備を着々と整えておられたことに、後になって気が付きました。


初めての「お試しレッスン」
なんとお腹から、自分の唇を動かすことなく、人形の声が出るではありませんか!

驚いたのは、私自身!
どうしてなの?腹話術の発声が難しくて、「こりゃだめだ」と諦めていたはずなのに。

毎朝の座禅を組んでの丹田呼吸15分の成果だったのですよ。

神様はお寺のお坊さんを用いてくださって、丹田呼吸を私に教えてくださった。
その快適さのゆえに、毎朝の沈黙の祈りの喜びゆえに、4年間続いたのです。

そうして、がんこちゃん人形をつくってから、7年目、神様は、腹話術に取り組めるように準備万端、整えてくださいました。そして腹話術人形「ななちゃん」がやってきました。腹話術をしたいなあ、と思ってから7年目でした。

七年目のナナと、セブンスデーアドベンチストの7セブンであるナナ、ですから、「ななちゃん」と命名しました。


①両親の病気→マクロビオティック→断食への憧れ   

②少女時代 半跏思惟像・弥勒菩薩様への憧れ→座禅への憧れ 

③クリスチャンになった私→祈ることを知った→祈りの形の多様性を知った。

④教会でパッペット人形の作り方を牧師夫人から教わった→腹話術したいなあ。

私の中でのこうした物語が、今やひとつにつながったのでした。
これは、そのまま、神様が私のためにつなげてくださった物語。


腹話術を始めてから、8年?9年? 台本造りには熱心ですが、人形を使いがなかなか上達しないのはお恥ずかしい次第です。

台本は、聖書から作ることに決めていますから何の苦労もありません。

聖書を読むこと、デボーションを大切にすること、

日々の信仰生活の中で神様がお示しくださるからです。


マラナ・タ
神様に生かされて生きる。
私のための、神様のご計画の道筋が、歳月と共にこんなふうに見えてくるのね。
神様、ただただ、ありがとうございます。
あなたをたたえます。