ごきげんよう!さわこです

 

数日前のこと、祈りの友からのメールに、ペトロ第一の手紙2章2節が書かれていました。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい。これを飲んで成長し、救われるようになるためです」

 

受け取ったその日から、ずーとその御言葉が私の霊に留まりました。

寝るときも「混じりけのない霊の乳を求めます・・・」と願いつつ眠りに落ちて行きました。

 

私たちは、ともすれば、成分無調整の乳ではなく、加工乳を求めてしまっていることがあるのかもしれません。「本日の特売」などと目につくように書かれたポップにひかれてついつい購入してしまったり・・・ね(笑)

加工乳とは、混じりけのない霊の乳以外のもので飢えや渇きを満たそうとする行為かもしれません。

御言葉の学びや毎朝の密室の祈りやデボーションに集中することよりも、あれこれと知恵を巡らせ行動する。

「私には行動力が賜物なの。人はそれぞれ賜物の違いがあるわ。暗誦聖句とか、聖書通読などは、そういう賜物の人にお任せして、私は行動よ、○○実行委員はまかせて」とばかりに(笑)行事に熱中する。そして皆で協力し合う充実感、祈りの結果が成功につながったと思う喜びがあります。

 

すべて祈りに押し出されて、聖霊に導かれた結果としての行動でありたいと思います。

 

マラナ・タ

加工乳を飲んでの行動ではなく、混じりけのない霊の乳を飲んでの行動でありたいと切に切に願います。