ごきげんよう!さわこです。
教会祈祷会がお休みになる時には、我が家で小さな祈祷会をしています。
今日、祈祷会で学び合い分かち合ったことの確認です。
① キリストは、この世の中に、この歴史の現実の中に入り込んできて私たちと共に苦しんでくださるお方です。
② 神は、私たちの苦しい問題に対して決して傍観者ではなく、自ら傷ついてでも私たちを背負うとしておられるお方です
③ キリストは生まれながらの盲人に「神の栄光が現れるためである」と言われました。
最悪の状況だけを見ている人にはわからないでしょうが、「この状況を、どう神は変えてくださるのだろうか」と、神を見上げている者には神の栄光が現れます。
最悪の状況の中から、最善が光りはじめます。
④ 神に聴く人生は豊かです。たとえ死の陰の谷を歩むような苦難があっても、やがて主は祝福に変えてくださることを知るからです。
⑤苦難を通して与えられる使命があります。
聖書は「わたしの子よ、主の訓練を軽んじてはならない」(ヘブライ12:5)言っています
それは私たちの人格を鍛えて立派にするために価値があるというのではありません。
神がその人に大きな使命を下そうとされる時には、その前に精神的にも肉体的にも悩ませて鍛錬なさるのです。
神は人間を神ご自身の姿に似せて造られました。どんな人も本来は神の子ですから、その心の奥底に潜む神性(良心)が目覚めれば、人間は変わるのです。
精神力が湧いて来る、それを信仰と呼ぶのです。
誰もが、人に言える、言えないに関わらず、 重荷を担っています。
その重荷を共に負ってくださる方がイエス様であることの幸いを確認しました。
共に祈り合った友たちよ、
あなたの明日を主がお守りくださり、必要を満たし、忍耐を与えられ、希望をくださいますように。それぞれの重荷をイエス様のもとにおいて、ベッドに入ることができますように。
マラナ・タ
明日の朝、目覚めたら、天国だったなら・・・とご再臨が待たれます。
おやすみなさい。