人はすべての支配者が神であることを

頭ではわかっているのに、理屈ではわかっているのに、

自分の勢力範囲が侵されたとき、なぜ憤るのか。

何かを失った時、望みをくじかれたとき、なぜ憤るのか。

 

喜び、喜べ!と主は言われるからです・・・

そう、だから、憤りを感じている時、憤ってはいけないのか。

 

いいえ、Mよ、憤っていいのです!

その不愉快な感情を押さえつけなくていいのです。

その感情を、自分が処理できるように、表面に出しなさい。

それを無かったことにして、自分を騙してしまうことのないように

その感情を、意識できるようにと、聖霊様にお願いしてごらんなさい。

それらの憤りのすべてを、大胆に、主の光の中に携えて来ていいのです。

そのとき、主は、あなたの憤りの感情を取り除いてくださる。

 

Mよ、憤りの感情を、自分の内に抑え込むことをやめて

主のもとにその感情を差し出してしまうなら

空になった心に、主の憐れみがそそがれる。

すると主の恵みは、あなたに讃美と感謝を与えてくださる。

 

主への讃美も感謝も、すべて良いものは、

神からの贈物であることを、

Mよ、あなたに思い出させてくださる。

 

Mよ、あなたにできることは

憤りを隠さないこと。

憤りを初めからなかったかのように

自分の心を取り繕わないこと。

善い人のふりをしないこと、聖人ぶらないこと。

 

罪びとの一人であることを認めること。

 

「主は与え、主は奪い給う

主の御名は、ほむべきかな。」(ヨブ1:21)

 

主のくださるものは、いとも善きもの

主は奪いとってくださるものは、あなたのうちの憤り。

 

そのとき、主は平安を与えてくださる。

世の与える平安とは異なる平安を与えてくださる。

主は、唇に讃美の歌を 歌わせてくださる。

 

Mよ

あなたにできることは、

憤りの感情を、主に差し出す決意、選択だけ。