ごきげんよう!さわこです。

祈りは魂の呼吸だと言います。
祈りは神様へのホットラインだと言います。
祈りは神様との対話だと言います。

祈りなしでは、人は神様から顧みられないのでしょうか。
神様は祈ることのできる人しか、相手にしてくださらないのでしょうか。

絶望の淵に陥り、疲れはて、弱り切った魂に
主は、関心を持たれないのでしょうか。

主にとっての関心事は、信仰の優等生なのでしょうか。
いいえ、そうでないことは、
イエス様を御覧になれば誰にでもわかること。

神様の恵みは
祈る時にだけもたらされるのでしょうか。

内村鑑三は「祈りは救いの条件ではない」と言いました。
ある牧師は「祈りに効能はありません」と言いました。

どちらも、変化球のボールのような言葉ですが、
でもジャストミート。
祈りの深い核心を、祈りの中心を捉えています。

祈ることすらできない時には
神様はその人の最も近くに降りてこられます。
疲れ弱り切った魂のあることを、
全能の主がご存知ないわけではありません。

苦しむMよ、あなたは主に知られています。
苦難のただ中にいるときにも、
神の愛はあなたに注がれています。
神は決して、あなたを一人にはなさいません。
祈りの言葉を紡ぐことのできないあなたに代わって
キリストの御霊は、うめきをもって祈っていてくださいます。

「・・・わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」ローマ8:26

「・・・霊は、神の御心に従って、聖なる者たちのために執り成してくださるからです」ローマ8:27

「神を愛する者たち、つまり、ご計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています」ローマ8:28

十字架の主イエス、復活なさった主イエス、まもなく再臨なさる主イエス。
このお方を「我が主、我が神」と仰ぐ心をいただいたことが、どれほど私に忍耐と希望を与えてくれたことでしょうか。

「・・・復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのためにとりなしてくださるのです」ローマ8:34

「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。・・・どんなものも、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです」ローマ35-39

Mよ、あなたは文字を読む気力も、パソコンのスイッチを入れるゆとりも、今はないのかもしれない。
私の祈りもメッセージも、文字としてあなたに届かないかもしれない。
主である御霊よ、私の祈りを私の心をMのもとに届けてください。
Mをあなたが励まし、慰め、癒し立ち上がらせてください。
イエス・キリストの御名によって祈ります。

マラナ・タ
主イエスよ、今、Mのもとに臨んでください。
Mが共におられる主イエスを体験できますように。