ごきげんよう!さわこです

「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」コリント第二3:14

9月8日の日めくりカレンダーの聖句を4日間味わい続けています。

「今日に至るまで、古い契約が読まれる際に、この覆いは除かれずに掛かったままなのです」

私は、福音書でイエス様が仰ったお言葉「先祖の言い伝え」とは、ヘブライ聖書トーラー(いつからか旧約聖書と呼ばれるようになった)を、具体的生活レベルで理解しようとの試みからラビたち(聖書学者、聖書教師)によって造られたモーセ口伝律法(ミシュナやタルムード)を指しているのではないか、きっとそうだろう、と考えるようになっています。

ですから、「この覆い」とはそれのことだと咄嗟に思ってしまうのです。

古い契約とは、旧約聖書で示されたトーラーの教えのことだと私は理解します。
トーラーを集約するならば十戒のこと、さらに集約するならば、イエス様もおっしゃったように、
「神と人を愛しなさい」に尽きるわけです。
つまり、古い教えを真実に理解するならば、それは新しい教えと呼ばれるのです。

ところが先祖の言い伝えという覆いが掛かると神様の契約が古いものに変質してしまうのだとパウロは言っているのではないでしょうか。

イエス様によって、その覆いは取り除かれました。
しかし、イエス様の十字架の贖いの後も、復活と昇天の後も、覆いが除かれずにかかったままであるとパウロは嘆いているのではないでしょうか。

イエスをメシヤ(キリスト)と信じない者たちにとっては、覆いは取り外したくないのです。
覆いこそがトーラーだと思い込み、そう教えられ、未だにそう信じている人たちもいる。

古い契約は、新しい契約そのものであるということを、イエス様は公生涯でいろんな譬えでお教えになりました。

パウロによる手紙は、イエス様の教えに「先祖の言い伝え」「ギリシャ哲学」「ローマ思想」等々を混ぜ込んだことに対して譴責をしています。

使徒たちが純粋な聖書の教え(イエスの教え)を継承しているのです。

それが、ユダヤのラビたちによって人の教えが混じってきたように、イエスの昇天の後、イエスの教えである「この道」にも、キリスト教神学の人の教えが紛れ込んできました。

ローマ帝国がキリスト教を国教としたこと、アウグスティヌスが再臨を待ちきれずに、方便の神学を形成してきたこと。
何とサタンは、熱心な信仰に隙をついて巧妙に入ってくるのでしょうか。

しかし、どの時代にもイエスの「この道」を守る残りの民がいました。今もいます。

パウロの時代と同じように今も「この道」(キリスト教と呼ぶことさえも苦しくなってきました。使徒たちの時代のように「この道」と呼びたいのです)に覆いをかけようとする勢力があります。

世の終わりが近づくとますます、覆いを離すまいとする勢力は最後のあがきを見せています。

今の時代には、さらに、新しいキリスト教思想さえも出て来て、進化論という覆いが掛かった聖書解釈がなされるようになってきました。
創世記は、単なる神話、作り話だという神学さえもあらわれています。


しかし、すでにイエス様は「世に勝っている」と宣言なさっています。

「・・・あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」ヨハネ16:33


マラナ・タ
主イエスよ、いつも私の心はあなたに来てくださいと願っています。
あなたの心を私の心として、生きられますようにと願っています。
そして、目を覚まして、聖霊を満たして生きること、
それこそが再臨への備えであるとイエス様が教えてくださったことを
毎日、忘れません。