ごきげんよう!さわこです

中学校は夏休みに入りました。
寮生活をしていた子どもたちも帰省。
うれしくて、思わずハグ!
教会も若い人たちで若い空気が流れています。

4年生のももちゃんが、ポイントをためたので「みことば手帳」をもらいました。
ももちゃんの聖書と讃美歌のカバーとおそろいの生地が残っていたので、手帳カバーも作りました。

ももちゃんの家では、毎日の家族礼拝のときに、みことば手帳の聖句を読むそうです。
自分の手帳ができてうれしくってたまりません。
いつも持ち歩くように、と書かれているので、心がけているそうです。
その場で、カバーをはめてくれました。
私、うれしくてたまりません(笑)


さて、前回の分級は、前の週に「汚れた霊が戻ってくる」というお話をしました。
それは、予定外のことでしたが、ケイタロウ君の発言を受けて
「そうね、心がからっぽのままだったら、汚れた霊がはいってくるからね」と答えました。
「福音書の中に、ルカによる福音書の中にあったけれど・・・」
いつもと違う聖書をもっていたので、すぐに見つけられない私(苦笑)

新共同訳の、引照付の中型版、その聖書ならばすぐにみつかるのに、何章何節ときちんと覚えていない箇所が多くて、いつもの聖書でないと探すのが大変・・・
情けなや・・・情けなや・・・(涙)
三人のこどもたちも、探してくれるけど見つからない・・・
「今日中に見つけるから、後にしようね。待っててね」
ということで、お祈りをして、お礼拝の時間になりました。

礼拝後、すぐに見つかりました。
ルカ11:24-15、マタイ12:43-45
メモ用紙に書いて、三人に渡しました。
「聖書に赤線を引いておいてね。来週はそこを学びましょう」


というわけで、昨日の安息日学校の分級。
出席をとって、安息日学校の献金(世界伝道に用いられます)をして、
始まりのお祈りを三人に順番にしてもらいました。

ケイタロウ君のお祈りに、私の心が留まりました。
「ケイタロウ君、悪い誘惑に負けないように守ってくださいっていうお祈りをしてくれたけれど、ケイタロウ君は、悪い誘惑と戦っていたの?」

「うん、ゲームをやろうって、友達に誘われたとき、今までは、一緒に遊んでしまっていたの。でも、神様に祈っていたら、断れるようになったんだ」

「ゲームは、良くない遊びだと君は思っているの?」

「うん、そうです」

「みんなも、よくないという誘惑に負けてしまって、失敗したことってある?」
ケイタロウ君とももちゃんはいっぱいある、と言いました。
「100回くらい?(笑)」と私。
「ううん、もっと、あると思う」とケイタロウくんとももちゃんは、にこにこしながら、告白(笑)してくれました。
「みゆちゃんは、どうなの?」厳しい表情でだまっていたので聞いてみました。
「わたしは、ない」

「そう、ないの?なかったの?それはよかったわね。でも、みんなに知っておいてもらいたいことがあるの。誘惑に負けた自分に気が付かないままだってこともあるのよ。失敗しても、わたしじゃないもん、って自分の心に嘘をついてしまうこともあるのよ。人間ってね、そういうふうなことがたくさんあるの。それが人間なのよ。だから、イエス様に、間違いに気づかせてくださいってお祈りしなくちゃならないの。気づかせていただいたら、『ごめんなさい』『ゆるしてください』っておことわりできるでしょ?ほら四つのお祈りよ」


「天のお父様、ごめんなさい、ゆるしてください、愛しています、ありがとう、イエス様のみ名によって、アーメン」と子どもたちは、声をそろえて祈りました。

「では、今日のお勉強をはじめましょうか」
「赤線をひいてきたよ!」といつもおっとりしているみゆちゃんが聖書を開いて見せてくれました。
この聖句を学ぶきっかけを作ってくれたケイタロウ君は「忘れた・・・」(笑)
ももちゃんは、スカートのポケットに入れたまま洗濯してしまってボロボロに・・・(笑)

三人のそれぞれの個性に、私は愉快になってしまいました。
「みゆちゃん、みんなにルカの何章何節か、教えてあげて」

ケイタロウ君、ももちゃんは聖書に印をつけました。
そして、三人に一緒にゆっくり読んでもらいました。

「ほら、ルカの『汚れた霊が戻ってくる』というところの下を見てごらん、マタ12:43-45、とあるでしょう。このお話はマタイにも出てくるってことなのよ、ではマタイを開きましょう」

子どもたちに一緒にゆっくり読んでもらいました。
もも「あ、同じだ!でも違うところもあるよ!」
ケイ「あ、他にも、カッコでマタとかマコとかヨハとか、書いているところがある。何もないところもある。へー、どうしてだろう?」

四福音書には、同じ話があるところがあるということ、そして、それがわかるようになっていることを子どもたちは発見しました。

さわこ「どうしてと思う?」
もも「作者がまねしたのかな?」
ケイ「最初に書いた人のまねっこだ!」
ミユ「でも、ルカにしか書かれていないとこもあるよ。」
さわこ「どうしてかな?」
もも「大事だと思ったところが同じだった!」
さわこ「他の福音書に書かれていない所は大事じゃなかったの?」
もも「ちがうよ!聖書は全部大事だよ。ただね、人によって特に大事って思ったところが重なっただけだと思う」
さわこ「私も、そうだと思うわ」

「みんながいつも祈っている三つの祈りを思い出してね」
「イエス様、私の心に来てください。私の心をきれいにしてください。いつも一緒にしてください。」

さわこ「イエス様は、来てくださいって祈ったら?」
子どもたち「わたしの心に来てくださる」
さわこ「わたしの心をきれいにしてくださいって祈ったら?」
子どもたち「イエス様がきれいにしてくださる」

さわこ「きれいになった心をそのままに、からっぽのままにしていたら、どうなるかな?」
こどもたち「7つの悪い霊を連れてきて、住み着いてしまう、前よりも悪くなる」と26節から答えました。
ケイ「心にいつもイエス様がいてくださらなかったら、大変だ!危険だ!」
みゆちゃんも、ももちゃんもうなずきました。

ルカ11:24-26
汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出てきた我が家に戻ろう』と言う。そして、戻ってみると、家は掃除をして、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を連れて来て、中に入りこんで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。

マタイ12:43-45
「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。それで、『出てきた我が家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除して、整えられていた。そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入りこんで、住み着く。そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」

さわこ「ちがっているところは、どこだった?」
もも「この悪い時代の者たちもそのようになろう、ってところ」

さわこ「この悪い時代っていつのこと?」
ケイ「イエス様のおられた時代」
さわこ「そうだね、それだけかしら?」
ケイ「イエス様の時代から、僕たちが生きている今の時代まで、ずーとだと思う」
さわこ「私もそう思うわ。今は終わりの時代だから、ますます悪い時代になってきているわね。だから、私たちの心の中には、いつも、いつも、イエス様に住んでいただかなくては」
子どもたちはうなずきました。

子どもたちの終わりのお祈りを聞いていると、分級で何が分かったか、何が心にとまったのかがわかります。
時間がもっと取れるならば、それをノートに書いておいてもらうといいのですが、分級の時間が30分では、なかなかそこまではできません。

「子どもたちの心のノートにしっかりと書きつけて、そのあとに続く礼拝に向けて、神様に向かって大きく心を開くことができますように、聖霊様、お導きください」というのが、私の祈りです。


マラナ・タ

私の分級は、藤田シスターの「みことばクラス」のようなものですが・・・
30分という時間に制限されてしまって私自身が縛られてしまっているようでと反省しています。
もっと、私自身の心に余裕のある分級にしていただけますようにと、祈っています。