各時代の希望 上 第8章「過越しのおまいり」

・ ユダヤ人の間では、12歳という年齢が子供時代と青年の境界線だった。

・ この年齢が終わると、ヘブルの少年は律法の子また神の子と呼ばれた。
宗教的な教えを受ける特別な機会が与えられ、宗教上の祝祭や儀式に参加することが期待された。

・ 年ごとの祭礼には、過越の祭りと五旬節(ペンテコステ)と仮庵の祭の三つがあって、その時にはイスラエル人の男の子はみなエルサレムで神の前に出るように命じられていた。
この三つの祭礼の中で、過越の祭りにお参りするひとが一番多かった。
ユダヤ人が離散していたすべての国々からも多くの者がおまいりした。

・ 過越しの祭の時期は、三月の終わりか4月の上旬に当たっていたので、国中で花が輝き、小鳥の歌声が楽しかった。

・ 道中ずっとイスラエルの歴史上記念すべき場所があって、父や母たちは、昔、神がご自分の民にためになしてくださったいろいろな不思議を子供たちに語り聞かせた。

・ 過越しを守ることは、ヘブル国民の誕生とともに始まった。
ヘブル人は、ほふられた小羊の血を門柱に塗ると、焼いた子羊の肉を酵母のはいっていないパンや苦菜といっしょに食べるのであった。

・ 夜中にエジプト人の長子は全部殺された。

・ ヘブル人は自由な国民として、エジプトから出て行った。
神は毎年過越しを守るようにお命じになったのだった。

・ 過越の祭りの後、種入れぬパンの祭礼が七日間つづいた。
この祭りの二日目に、その年の収穫の初穂である大麦の束が神の前にささげられた。

・ 祭りの儀式はすべてキリストの働きの型であった。
イスラエルがエジプトから救われたことは、あがないについての実物教訓で、過越しの祭りはそのことを覚えておくためであった。

・ ほふられた小羊、種入れぬパン、初穂の束は、救い主をあらわした。


・ キリストの時代の民の大部分にとって、この祭りの守り方は、形式的なものに堕落していた。

・ 神は過越の祭りを通して、民を世俗の心づかいから解放し、エジプトからの救出に示された神のくすしいみわざを彼らに思い出させようとしておられた。
神は彼らがこのみわざの中に、罪からの救いについての約束を認めるように望まれた。

・ ほふられた小羊の血によって、イスラエルの家が守られたように、彼らの魂はキリストの血によって救われるのであった。
信仰によってキリストのいのちを自分自身のものとすることによってのみ、彼らはキリストによって救われるのであった。

・ イエスが母マリヤから離れ、マリヤが悲しみながら三日間イエスを探したように、イエスが世の罪のためにささげられるとき、彼女はもう一度、三日間イエスの失うのである。
そしてイエスが墓から出てこられる時、彼女の悲しみは再び喜びに変わるのである。

・ われわれは、無駄話や悪口や、祈りを怠ることによって、救い主のご臨在を一日失うかもしれない。
すると、救い主を見つけ出し、失った平安を取り戻すのに、何日間も悲しみながら探さねばならないかもしれないのである。

・ イエスを心に思わなくなれば、われわれはイエスと天使たちから離れてしまうのである。救い主にいていただきたいと思わなかったり、救い主のおられないことに気がつかないようなところに、聖天使たちはとどまることができない。
クリスチャンと自称している人々の中にしばしば落胆がみられるのはこのためである。

・ イエスから離れることによって、彼らはイエスの臨在の光をしめだしてしまったのである。

・ われわれは、キリストの一生について毎日瞑想する時間を持つがよい。
われわれのために払われたイエスの大きな犠牲を心に巡らせるとき、キリストに対するわれわれの信頼はもっと堅固になり、われわれの愛は目覚めさせられ、われわれはもっと深くキリストの精神を吹き込まれる。

・ もし最後に救われたければ、われわれは十字架のもとで悔い改め、心が砕かれることについて教訓を学ばねばならない。

・ われわれがキリストのものなら、キリストについて思うことが一番楽しい思いである。
互いにキリストの愛について語る時、われわれの心は天来の感化によってやわらげられる。
そしてお互いに対して祝福となる。