安息日の午後、F医師による 講演会がありました。
「坂の上の坂の人生にイエスという
超高齢社会を『生き甲斐』を持って生きるための3原則」
受付の係をしていましたので、今一つ、じっくり聞くことができませんでしたが、
それでも、関心のある所は、ちゃっちゃとメモを。
文章化するにあたって、私見が紛れ込んだかも(笑)
私の尊敬するフランクルの本からの引用に、思わずダンボの耳に。
2時間近くの講演会でしたから、端折ってしまったところもあります。
〇二者択一で物事を考えることが多いが、第一・第二のアプロ―チはすべての答えとなりはしない。そこで、第3の道もあると知っていると、柔軟な対応ができることになる。
既成概念から、心を開いておくことは必要なことだ。目から、うろこ!
新しい発見や経験を持っていると、ものの見方が変わる。考え方が変わる。
しかも、日本は世界一の平均寿命を誇っているが、それは、昭和30年代以前の日本人のライフスタイルによるものであり、飽食の時代に生きたものたちが、同じように長寿ではないと言われている。
いくら平均寿命が延びたとはいえ、人は死を背負って生きてことに変わりはない。
ただ、長生きするだけではなくその質が問われている。クオリティオブライフである。
アップルの創始者は、死を自覚するときに、新しい解釈を持ち、計画な決断ができると体験として言っている。
〇第三の道とは、解釈力を持っていることである。
解釈力を豊かに持つことが人生の大きなカギとなる。
第三の道は肯定的解釈を産む。
〇人生には三つの坂がある。
上り坂、下り坂、まさか!
人生は山にたとえると、富士山や大山のように頂上に達したら、後は降るばかりの山ばかりではない。
六甲山のような、八が岳連峰のような、稜線を歩く山もあるのだ。
(学生時代、試験休みの秋に、西穂高や八方尾根を歩いたことを思い出した。)
一つの分野で道を究める目安としては13年くらいと言われている。
65歳で定年を迎えたとしても、新しい山を目指すことは可能である。
80歳でも新しいことに挑戦できるのである。
〇100歳を越えてなお現役の医師として第一線で活躍している日野原重明先生は、新老人の会を作られた。
その考えの元は精神科医フランクル。
「生き甲斐の三原則」①愛し愛されること ②始めること ③耐えること である。
ユダヤ人精神科医フランクルは、ナチスによるアウシュビッツ強制収容所からの数少ない生還者のひとりであった。
(フランクルの「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」この二冊の本をご存知の方もおられるでしょう。読んでおいていただきたい本です)
〇フランクルの哲学とは、
態度価値・・・生きる意味を見いだす心の持ち方
・ 人間は意識しなくても人生に意味を求めている。
・ 世の中に何かを与えることを願っている。社会の役に立ちたい、誰かのお役に立ちたいと思う心。
・ また、世の中から何かを得ようとしている。自分の生きてきたことに意味を見いだしたい心。
・ 自分の行動や態度は、自分で決めることができる。(自己選択)
・ 自分の判断と選択には、自由と責任が伴う。
・ 自分の解釈力次第で、試練に意味を見いだすことができる。
・ 人生に何かを期待するのではなく、人生の方が期待している。それは、言い換えるなら、人生の意味を問うのではなく、人生の方から問いかけている。
・ 創造することや体験することが出来ない状況下にあっても、その状況の中で、どういう態度をとるかは自分に任されている。自己選択する自由が自分にある。
・ いかなるものが奪われても、自分の態度を選択する自由は死ぬまで奪われることはない。
・ 人間に残された最後と自由とは、自分で選択できること。
・ フランクルは長い間、この問題に取り組んできたが、強制収容所という極限の状態の中で、それを確信した。
〇フランクルの哲学は、聖書の原則と重なる。
・感謝する態度・・・信仰
・チャレンジ・・・・希望
・愛される体験によって、自分の価値を知る・・・愛
・ 聖書ではキリストの再臨を、花婿であるイエスが、花嫁である人間を迎えに来ることにたとえている。
そこで、人生を花嫁修業と考えてみると、修業の内容が見えてくる。
「いつもよろこんでいなさい」・・・愛し愛された体験から
「絶えず祈りなさい」・・・・・・・行動すること
「どんなことにも感謝しなさい」・・・態度を自分で決める
テサロニケ第一・5:16-18
〇 花嫁修業の結果、身についた品性は花嫁の成長の証。
コリント第一10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
ローマ5:3-5「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。・・・」
マタイ11:29、30「・・・わたし(イエス)の軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
〇 逆風の中で、人生を歩む人たちに、希望のメッセージであるキリストの再臨を伝えることが教会の使命である。再臨の時、私たちはキリストと共に天国に上げられ永遠の命を頂くことになる。
〇 永遠の命とは、よきおとずれ(福音)、再臨とはそれに対しての希望。
〇 死は永遠の命に目覚めるまでの時間である。
〇 あなたのいのちが、永遠の命への準備期間だとしたら、どう生きるか?
① 愛・・・身近な人を愛し大切にしよう(愛し愛する体験の持続)
② 希望・・新しい挑戦を始めよう。(新しいことを始める行動)
③ 信仰・・与えられた試練を感謝して忍耐する態度を持とう
こうしたことが「それでも人生にイエスという」生き方である。それを態度価値という。
難しい言葉だが、覚えておいてほしい。
〇私たちの人生は永遠のいのちに比べると短いものである。
人生を永遠の命への備えの期間としよう。
人生のラスト10年は、神の恵みを発見する時としよう。
人生のゴールとは、魂の平安を見いだすこと。
人生に逆風を受ける体験をしても、凧のように舞い上がっていく。
凧は糸を引っ張る人(=神)がいるから安心なのだ。
逆風の中で人生を歩む人たちに、神の存在を伝えるのが教会の使命。
最後に紹介された有名な祈りです。
応えられた祈り 【訳:シスター渡辺和子】
ニューヨークにあるリハビリテーションの待合室の壁に掛けられている祈り
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは すべて聞きとどけられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せぬ祈りは
すべて叶えられた
私は 最も豊かに祝福されたのだ
「坂の上の坂の人生にイエスという
超高齢社会を『生き甲斐』を持って生きるための3原則」
受付の係をしていましたので、今一つ、じっくり聞くことができませんでしたが、
それでも、関心のある所は、ちゃっちゃとメモを。
文章化するにあたって、私見が紛れ込んだかも(笑)
私の尊敬するフランクルの本からの引用に、思わずダンボの耳に。
2時間近くの講演会でしたから、端折ってしまったところもあります。
〇二者択一で物事を考えることが多いが、第一・第二のアプロ―チはすべての答えとなりはしない。そこで、第3の道もあると知っていると、柔軟な対応ができることになる。
既成概念から、心を開いておくことは必要なことだ。目から、うろこ!
新しい発見や経験を持っていると、ものの見方が変わる。考え方が変わる。
しかも、日本は世界一の平均寿命を誇っているが、それは、昭和30年代以前の日本人のライフスタイルによるものであり、飽食の時代に生きたものたちが、同じように長寿ではないと言われている。
いくら平均寿命が延びたとはいえ、人は死を背負って生きてことに変わりはない。
ただ、長生きするだけではなくその質が問われている。クオリティオブライフである。
アップルの創始者は、死を自覚するときに、新しい解釈を持ち、計画な決断ができると体験として言っている。
〇第三の道とは、解釈力を持っていることである。
解釈力を豊かに持つことが人生の大きなカギとなる。
第三の道は肯定的解釈を産む。
〇人生には三つの坂がある。
上り坂、下り坂、まさか!
人生は山にたとえると、富士山や大山のように頂上に達したら、後は降るばかりの山ばかりではない。
六甲山のような、八が岳連峰のような、稜線を歩く山もあるのだ。
(学生時代、試験休みの秋に、西穂高や八方尾根を歩いたことを思い出した。)
一つの分野で道を究める目安としては13年くらいと言われている。
65歳で定年を迎えたとしても、新しい山を目指すことは可能である。
80歳でも新しいことに挑戦できるのである。
〇100歳を越えてなお現役の医師として第一線で活躍している日野原重明先生は、新老人の会を作られた。
その考えの元は精神科医フランクル。
「生き甲斐の三原則」①愛し愛されること ②始めること ③耐えること である。
ユダヤ人精神科医フランクルは、ナチスによるアウシュビッツ強制収容所からの数少ない生還者のひとりであった。
(フランクルの「夜と霧」「それでも人生にイエスと言う」この二冊の本をご存知の方もおられるでしょう。読んでおいていただきたい本です)
〇フランクルの哲学とは、
態度価値・・・生きる意味を見いだす心の持ち方
・ 人間は意識しなくても人生に意味を求めている。
・ 世の中に何かを与えることを願っている。社会の役に立ちたい、誰かのお役に立ちたいと思う心。
・ また、世の中から何かを得ようとしている。自分の生きてきたことに意味を見いだしたい心。
・ 自分の行動や態度は、自分で決めることができる。(自己選択)
・ 自分の判断と選択には、自由と責任が伴う。
・ 自分の解釈力次第で、試練に意味を見いだすことができる。
・ 人生に何かを期待するのではなく、人生の方が期待している。それは、言い換えるなら、人生の意味を問うのではなく、人生の方から問いかけている。
・ 創造することや体験することが出来ない状況下にあっても、その状況の中で、どういう態度をとるかは自分に任されている。自己選択する自由が自分にある。
・ いかなるものが奪われても、自分の態度を選択する自由は死ぬまで奪われることはない。
・ 人間に残された最後と自由とは、自分で選択できること。
・ フランクルは長い間、この問題に取り組んできたが、強制収容所という極限の状態の中で、それを確信した。
〇フランクルの哲学は、聖書の原則と重なる。
・感謝する態度・・・信仰
・チャレンジ・・・・希望
・愛される体験によって、自分の価値を知る・・・愛
・ 聖書ではキリストの再臨を、花婿であるイエスが、花嫁である人間を迎えに来ることにたとえている。
そこで、人生を花嫁修業と考えてみると、修業の内容が見えてくる。
「いつもよろこんでいなさい」・・・愛し愛された体験から
「絶えず祈りなさい」・・・・・・・行動すること
「どんなことにも感謝しなさい」・・・態度を自分で決める
テサロニケ第一・5:16-18
〇 花嫁修業の結果、身についた品性は花嫁の成長の証。
コリント第一10:13「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなた方を耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」
ローマ5:3-5「そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。・・・」
マタイ11:29、30「・・・わたし(イエス)の軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」
〇 逆風の中で、人生を歩む人たちに、希望のメッセージであるキリストの再臨を伝えることが教会の使命である。再臨の時、私たちはキリストと共に天国に上げられ永遠の命を頂くことになる。
〇 永遠の命とは、よきおとずれ(福音)、再臨とはそれに対しての希望。
〇 死は永遠の命に目覚めるまでの時間である。
〇 あなたのいのちが、永遠の命への準備期間だとしたら、どう生きるか?
① 愛・・・身近な人を愛し大切にしよう(愛し愛する体験の持続)
② 希望・・新しい挑戦を始めよう。(新しいことを始める行動)
③ 信仰・・与えられた試練を感謝して忍耐する態度を持とう
こうしたことが「それでも人生にイエスという」生き方である。それを態度価値という。
難しい言葉だが、覚えておいてほしい。
〇私たちの人生は永遠のいのちに比べると短いものである。
人生を永遠の命への備えの期間としよう。
人生のラスト10年は、神の恵みを発見する時としよう。
人生のゴールとは、魂の平安を見いだすこと。
人生に逆風を受ける体験をしても、凧のように舞い上がっていく。
凧は糸を引っ張る人(=神)がいるから安心なのだ。
逆風の中で人生を歩む人たちに、神の存在を伝えるのが教会の使命。
最後に紹介された有名な祈りです。
応えられた祈り 【訳:シスター渡辺和子】
ニューヨークにあるリハビリテーションの待合室の壁に掛けられている祈り
大きなことを成し遂げるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと 弱さを授かった
偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことをするようにと 病気を賜った
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと 貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと 失敗を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いは すべて聞きとどけられた
神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せぬ祈りは
すべて叶えられた
私は 最も豊かに祝福されたのだ