ごきげんよう! さわこです。

かれこれ8年前から年に三回、歌のご奉仕で訪問している長期療養型老人施設があります。
昨日は、牧師夫妻と腹話術人形のななちゃんと教会員有志8人で行ってまいりました。
そもそものきっかけは、教会員のおばあちゃまが入院なさっていたのがきっかけでした。
懐かしい日本の童謡・唱歌を何曲か、そして讃美歌を一曲、牧師夫人のキーボードの伴奏で歌います。
司会は、人形のななちゃんと私。

1、早春賦 
2、春の小川 
3、花 
4、牧師のオカリナ演奏でシベリウスのフィンランディア賛歌(讃美歌「安かれわが心よ」)
5、浜千鳥
6、この道
7、青い山脈
9、ふるさと


「早春賦」
春の真っ盛りに「早春賦」は季節的にそぐわないのかなあと思いましたが、歌詞もメロディもとても美しいので、やっぱり歌いたいですね、となりました。作詞 吉丸一昌 作曲 中田章、大正2年に作られています。

♪春は名のみの 風の寒さや 谷のうぐいす 歌を思えど 
時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず

♪氷解け去り 葦は角ぐむ さては時ぞと 思うあやにく 
今日も昨日も 雪の空 今日も昨日も 雪の空


ここの歌詞の意味が分かりにくかったので調べてみました。
『氷が融けて無くなって葦の芽が角のように生えてき始めた。 そろそろ田植えの季節かな、と思ったのも束の間 今日も昨日も雪が降ってまた冬に逆戻り』 という意味だそうです。

この繊細な歌詞からは、日本人の細やかな感性と情緒感が漂います。
このような歌を歌い継いでいくことは、日本人としてのアイデンティティを育むことになると思うのです。


さて、「春の小川」について、今回初めて参加してくださったA子さんが興味深いことを教えてくれました。

「戦前は『春の小川はさらさら行くよ』ではなく『さらさら流る』だったそうですよ。
日本語として『川がさらさら行く』とは言わないでしょ?『さらさら流れる』でしょ?」

確かにそうですね。いったいどうして『流る』が『行く』に変えられてしまったのでしょうか?言葉は時代と共に変わっていくものではありますが、戦後の日本語の破壊?のきざしがこんなところにもさりげなく見えるように思いました。

滝廉太郎の作曲の「花」
私たちの時代には中学校の音楽の教科書に載っていました。
二部合唱で練習した思い出があります。
ですから、同じ世代の人たちは、自然にアルトのパートも口ずさめます。

天平時代には「花」といえば「梅」を指しましたが、平安時代からは「花」といえば「桜」と言うようになった、と古典の授業で聞いた記憶があります。

平安時代初期のハンサムプレイボーイ在原業平の読んだ歌
「世の中に 絶えて桜のなかりせば 春の心は のどけからまし」

同じく平安時代の紀友則の歌
「ひさかたの 光のどけき 春の日に しづごころなく 花の散るらん」
紀友則は、土佐日記で有名な紀貫之の従兄になります。


平安時代末期、鎌倉時代初期の 西行は
「願わくば 花のもとにて 春死なむ その如月の望月の頃」

江戸時代の国学者本居宣長は
「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山櫻花」と詠みました。

どれだけ、日本人が櫻花を愛でてきたのかがわかりますね。

毎年、毎年、日本中の人々は「お花見」に繰り出しますが、飲み食いどんちゃん騒ぎに終始するのではなく、遠い昔から、櫻花を愛してきた日本人の心を確認しなくてはもったいないと思います。

牧師のオカリナに心が癒されました。シベリウスについて・・・
「1865年生まれ。1957年没。フィンランドの大作曲家。ヘルシンキ大学で法律を学んだあと、音楽に転向。ベルリンとウィーンに留学。帰国後、ドイツ・ロマン派音楽の影響のもと、フィンランドの音楽語法を消化し、祖国の民族譚を素材とした作品を多数発表した」

フィンランディア賛歌は祖国愛を歌っていて第二の国歌と言われているそうで、
「安かれわが心よ」として、クリスチャンにとっては馴染みの讃美歌の一つです。


「浜千鳥」については、新しい気づきを与えられました。
作詞 鹿島鳴秋、 作曲 弘田龍太郎、大正8年に作られた唱歌です。
私にとっても馴染みのある歌です。
哀愁ある詩とメロディに魅力を感じる程度だったのですが、この歌詞のなんと福音的なこと!とあらためて驚いたのでした。

♪青い月夜 浜辺には 親を探して 鳴く鳥が
波の国から 生まれ出る 濡れた翼の 銀の色

♪夜鳴く鳥の 悲しさは 親をたずねて 海越えて
月夜の国へ 消えてゆく 銀の翼の 浜千鳥


聖書的に読むならば、
①「親」とは、父なる神様(イエス様は天の神様を父と呼ぶように教えてくださった)
②「浜千鳥のひな」とは、神から離れた人間
③「親を探す、親をたずねる」とは、神から離れたことを自覚して探し求める姿
「求めよ、そうすれば与えられる。探せ、そうすれば見出す。叩け、そうすれば開かれる。」との御言葉が自然に思われるではないか。

そればかりではない。
ルカによる福音書15章の三つの例え話「見失った羊」「失くした銀貨」「放蕩息子」とも重なってくる。

人間が神を探すだけでなく、神の方も人間(失われた魂)を探し求めてくださっているのだ。
まるで、日本version大正の詩編のようではないか。

北原白秋作詞、山田耕作作曲「この道」
この歌を歌うたびに、使徒言行録の時代には、イエスを信じることを「この道」と呼んでいたことを思う。

「青い山脈」
石坂洋二郎の青春小説は、昭和20年代~40年代には大ブームでした。
入所者の皆さんは、この青い山脈の流行った時代は20代だったでしょうか。
青春時代を思い出されたようで、一緒に歌ってくださいました。

「ふるさと」高野辰之作詞・岡野貞一作曲
作曲家 岡野貞一はクリスチャン。

私たちはそれぞれ生まれ育った故郷がありますが、人間みんなの共通の故郷があります。
それは天の故郷です。天の神様は私たちを造ってくださいましたから神様は親です。
イエス様は「天にましますわれらの父よ」と呼ぶようにと教えてくださったのですから。


歌のご奉仕をするたびに、このような心でさせていただいています。

マラナ・タ
今年の春も、このような機会を頂いて感謝です。
入所者の皆さんは、ななちゃんを「かわいいね、かわいいね」と毎回喜んでくださいます。
思い出の歌も、一緒に歌ってくださいます。
「受けるよりも与える方が幸いである」と聖書は言いますが、
こうした訪問は、実のところ、受ける方が与え、与えている方が受けているのです。