ごきげんよう!さわこです。

日めくりカレンダーによるもう一つのデボーション。

「あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。
月日が経ってから、それを見いだすだろう」コヘレト11:1

バプテスマを受けてほどなくの頃、初めてこの聖句に出会った時のこと。
???ちんぷんかんぷん。意味が見えなかった。

しかし、今ではよくわかる。
パンとは、何を指すのかがよくわかってきたからだ。

「パン」とは、
いのちのパン、
天からのマナ、
イエス・キリストご自身、
キリスト者の日ごとの霊的糧、
聖書の言葉、
福音


「あなたのパン」とは、
私のイエス・キリストを信じる信仰。


「水に浮かべて流す」とは、
私の働きは、無力で無意味に思えるかもしれない。
パンを水に浮かべて流すような、愚かしく見えることかもしれない。
水に浮かべたパンは、すぐに溶けて行ってしまい、せいぜい魚の餌になってしまうことだろう。


「月日が経ってから」とは、

時を経て。長い長い時を経て。


「それを見いだすだろう」とは、
パンは溶けてはいなかった。魚の餌にもなってはいなかった。


なぜなら、パンにはいのちがある
なぜなら、パンは神の命の言葉である。
なぜなら、パンは生けるキリストである。


キリストが救い主であることを、聞いた人がすぐに受け入れるとは限らない。

ヤコブの井戸での、サマリヤの女のように、すぐに受け入れ、さらに人を呼んでくる人ばかりではない。

ニコデモやアリマタヤのヨセフのような、イエスの十字架の死の後で、信仰を表明し、弟子として立派な働きを開始する人もいるのだ。

また、イエスの隣で、十字架にかかった強盗のような人もいるのだ。

「それを見いだす時」がいつであるのかは誰にもわからない。
福音を宣べ伝えても、それを受け取るかどうかは各自にまかせられている。

神様は人間に自由意思をお与えになった。
選択の自由をお与えになった。
神様は無理強いなさらない。
強制なさらない。
脅しで人の心を支配なさらない。
神様は忍耐を持って、人が自分の意志で心を開くのを待ってくださる。


しかし、願わくは、伝えられた人が、この世での肉の命があるうちに信じる者となってほしい。
恵みの扉はやがて閉じられるのだ。
閉じられるまでに信じる者となってほしい。
先に召されて信じた者は、執り成しの祈りを日ごとさせていただいている。


マラナ・タ
かつて、私のために祈ってくださったどなたかが人がいらしたように、
今、私も祈らせていただいている。