ごきげんよう!さわこです。

病気がちになり、今も入院中のお一人暮らしの元長老が遠くの街に住む娘さんのもとに引っ越すことになられた。

副執事長さんから、昨夜ご連絡をいただき、
「空港までお見送りに行きましょう。途中の道筋になるから私の車でご一緒しましょう。
8時20分にはお迎えに上がりますから」
とありがたいメールだった。

さて、家の前で、8時45分まで待ったがいらっしゃらない。
道が混んでいるのかな?出がけになにかあったのかな?

と、待ちぼうけ。
しかし、待ちぼうけにはならない。


こういう時の時間の用い方に関しては、私は達人の業を持っている(笑)
昨年12月に発行された「みことば手帳」をいつもバッグに入れているのだが、
ヘブル4:12を暗誦することにした。

この聖句は、20年以上も前から、なんとなく覚えている。
自分の新共同訳の聖書なら、速やかに見つけることができる。

ところが正確には覚えていないのだ。
信仰を持った当初は「口語訳」を使っていたので、口語訳と新共同訳がごっちゃになって入り乱れてしまって、正確に暗誦できない聖句の一つなのだ。
口語訳の方が馴染みのある聖句なので、口語訳できちんと覚え直しをすることにした。

「というのは、神の言葉は生きていて、力があり、両刃のつるぎよりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いと志とを見分けることができる」
口語訳

「というのは、神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭く、精神と霊、関節と骨髄とを切り離すほどに刺し通して、心の思いや考えを見分けることができるからです」新共同訳

口語訳での「精神と霊魂」が新共同訳では「精神と霊」

みことば手帳は、左のページが新共同訳、右のページが口語訳。
並んで書かれているので、訳の違いを確認することができる。

ここは「精神と霊」の方が混乱しなくてよいと思うのだが、日本人は「霊魂」と聞くと、いわゆる霊魂不滅的な、死者の霊魂とイメージしかねないけれども、霊魂なら人間のものだと明確。

しかし「霊」だけだと、神の霊なのか、人間の中に神が与えてくださった霊なのかと考え込んでしまうのだが、こんなふうに考えてしまうのは、私だけかも(笑)

「心の思いと志」口語訳
「心の思いや考え」新共同訳

「考え」と訳すよりも「志」の方が、思っていること考えていることが明瞭である。
そんなことを考えながら、の25分の待ち時間。

ひとまず、覚えたので、おもむろに電話をしてみたら、

あらあ、明日よ!10日よ!」

昨夜、届いたメールを確認したら、確かに明日の10日。
全く私の勘違い(笑)

勘違いやら思い込みやらが増加中の今日この頃。

でも、それで、がっかりしたり、時間を無駄にしたとも思わない。
かつてのように自分を責めることもなく、御言葉に思いを巡らせつつ、口語訳で正確に暗誦できる時間を頂けたことの喜びが大きい。

正確に覚えていなかった20数年来の宿題をやっと仕上げて神様に提出できた喜びは大きい。

安息日学校ガイドの1課から13課までの聖句も、暗誦できていない課もある。
両方を暗誦するのは、正直なところ、しんどくなってしまったお年頃(笑)

みことば手帳は、暗誦したい聖句のオンパレード

すでに暗誦しているものもあるけれど、不正確にしか覚えていないものも実に多いのだから、今年はみことば手帳での暗誦に精進しようと思うに至った待ちぼうけの勘違い事件。


しかも、今朝は、早くから電話で確認しなければならない仕事の件もあり、空港から帰ってから処理するしかないかなあ・・・と思っていたの。
勘違いと分かった時点で、その処理もさっさと済ませて感謝でした。

その直後、素晴らしい祈りのメールまで届き、その祈りを10年昔の出来事を思い起こしながら味わい祈ることができた。

続きとして、その祈りを紹介しますね。

マラナ・タ
日常的なレベルでは、いつも万事を益として、私の落ち度を覆ってくださる神様、ありがとうございます。