ごきげんよう! さわこです。

この25年間、いろいろな形で祈祷帳をつけてきました。
今年の二月に、また新たな祈祷帳を作り「苦しみの花束」と名付けました。
「平成の嘆きの詩編、極東の国、日本の片隅で」とサブタイトルをつけられそうです(笑)

聖書通読、信仰書、礼拝説教、あらゆる信仰の窓から、神様は御言葉によって私の魂を揺さぶります。

私のうちからあふれてくる祈り、神様が注いでくださる祈り、これらの祈りは神様の革袋に涙と共に預かってくださっている。

「これは、あなたの地上人生の日々にわたしに捧げてくれたささげものだね。」
と、ご再臨の時、天に引き上げていただいた朝に、きっとイエス様が言ってくださる。


主よ、あなたを知った日から、私はあなたの御名を崇める者となりました。
失敗の多い、小さく貧しい者ですが、イエス様を「わが主、わが神」と仰いで日々を歩んでまいりました。
しかし、それでもあまりの心労のために、くずおれそうになる日もあります。

今朝、私はエレミヤの祈りに安らぎを頂きました。
「我々は、御名によって呼ばれている者です。我々を見捨てないでください」エレミヤ14:9

神様、あなたが、私たちのことを決して見捨てることのないお方だと存じ上げています。
それでも、「私たちを見捨てないでください!」と叫んでいいのだと学びました。

イエス様を信じた日から、私は御名によって呼ばれるものとなりました。
神の子として頂きました。

ですから、見捨てられているかのように感じられる時にも、私は決して見捨てられてはいません。

この試練の場所に、神が置かれたのです。

決して私の罪の結果として、この場所に置かれたのではない。

必ず、神様の時に、神様の最善の時に、私はここから引き上げられます。

この訓練は、終わりの日の更なる深い悩みの日に備えての訓練です。

なかなか解決しないこの問題、この困難、この苦悩、これらすべては私に忍耐を学ばせ、私の人格を清めてくださるものとならせてくださいます。

神様の許しのもとにある苦しみの裏側には、慰め、励まし、希望が刻まれています。


マラナ・タ

ですから、安心して祈ります。
主よ、私は御名によって呼ばれている者です。どうか、私たちを見捨てないでください!