ごきげんよう! さわこです。

「××××××!!!」と怒られました。
これって私のせい?って思ってしまいます…

大切な友から、哀しみのメールが届きました。

そうなのよ。
私のせいではないことでも、私のせいだと思わせられる言葉があるのよ。

あなたは、小さい時には母を通して、結婚してからは夫を通して、その「魔法の言葉」にさらされてきた。

私は、嫁いでからの言葉がそうだった。
世間の言葉がそうだった。
教育評論家の言葉がそうだった。
ともすれば、クリスチャンの言葉もそうだった。

私のせいでは100%ではない!と言いきれないものだから。

(人間みんな自覚するとしないに関わらず、そうよね。
しかも、真面目な人ほどそう。日本民族はとくにそう。
「なぜ日本人は申し訳ないと思うのか」に書かれているように)

すぐに「あんたのせいや」「あんたのやりかたが悪かったからだ」と
心にキリキリと響いてくるマジック。

否定しようとすると、1%であったとしても、自分の非を認めない罪びとだという意識がわきあがって、ごめんなさい・・・悪いのは私です・・・と自分で自分を責めにかかる。

イエス様を信じて新生しているはずの自分が、赦されていても罪びとのままという、サタンの魔法にかかって、サタンの縄目に捕えられている。

また、誰かのせいにして「私は悪くないもん。俺は悪うないぞ」
と自己保身に走る人もまた、サタンの縄目にしっかり捕えられている。

「きっと私のせい、私が原因」と思う弱い人には
「我らを試みに遭わせず、悪より救い出したまえ」と祈る道が、開かれている。

「あんたのせいや」という言葉の矢が突き刺さった時、
「やっぱり、私の存在そのものが人を不幸にしている」と、
その矢を受けて、不要な「内省」に引きずり込むサタンのやり口。

こうしたことに、惑わされないように、イエス様への信頼を、その瞬間に新たにしましょう。

♪ 悩み はげしく わきたつときにも
イエスよ わたしは 信じます
うちに くるしみ もえたつ ときにも
イエスよ わたしは 歌います
主は わが神 主は 救いと
イエスよ あなたを たたえます

♪ こころ はげしく 波たつ ときにも
イエスよ わたしは 信じます
うちに かなしみ あふれる ときにも
イエスよ わたしは 歌います
主は わが神 主は 救いと
イエスよ あなたを たたえます

沖縄讃美歌「青年のうた・なやみはげしく」を、
友よ、あなたも私も、歌い続けていなくてはなりません。

この歌は何と強力な祈りの歌でしょうか。

生きることは、疲れます。
生きることは、傷つきます。

人を、疲れさせ、人を傷つける人は、
その行為によって、ますます、精神も魂も痩せて疲労困憊し、
サタンの価値観に近寄っていくのかもしれません。

私たちには、彼らをその罠から救い出す力はありません。
適正距離を置くしかないのです。
家族であっても。
物理的にも、心理的にも。
魂を近づけると、ますます傷が深くなりますから。


でも、イエスのみ名によって、その人のために祈ることができます。

彼らが、罠にかかっていることを自覚し、イエス様に助けを求める決意と選びをできますようにと、祈る自由が私たちにはあります。

友よ、あなたの状況、あなたの心境は
私が持ち続け、子育て中に、ますますその考えに取りつかれ、
バプテスマを受けてからも、なかなか解放されなかった思いに重なってくる。
私が悪かった。私の存在こそ、諸悪の根源。私の存在がみんなを不幸にする。
今も、ともすれば、その罠に引っかかりそうになる。

一緒に戦いましょう。
私たちは無力であっても、勝利の主、イエスが戦ってくださる。

その罠にとどまり続けることを選んでしまうなら、
イエスの働きに、シャットアウトしてしまう結果となります。
イエスではなく、サタンの方を選ぶことになるのだから。

サタンは巧妙。

きっと私のせい・・・・と思うと「謙遜な気分」にさせてくれるし、
「罪びと」意識を倍増させてくれるし、
感情的に、感傷的に、十字架を見上げるかのようなトリックにかけてしまう。

感傷的信仰・・・これもサタンの罠

ようやくそれに気づくようになりました。

感傷的信仰を、信仰だと思っているクリスチャンもいます。
かつて私もそうだった。
こうした試練を、友よ、あなたとともにくぐって、気づかされた。

信仰は、御言葉に立つもの。
御言葉は、イエスご自身。
信仰は、人間の感情や感傷ではない。

♪悩み激しく湧き立つときにも、イエスよ、わたしは信じます。
うちに苦しみ 燃え立つときにも、イエスよ、わたしは歌います。

♪こころ激しく波たつときにも、イエスよ、わたしは信じます。
うちにかなしみ あふれるときにも、イエスよ、わたしは歌います。

イエスしか、逃れの道はありません

マラナ・タ
あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。
神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせるようなことはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道を備えていてくださいます。
コリントの信徒への手紙1・10:13