ごきげんよう! さわこです。

私たちの教会にはパスファインダークラブという子供のクラブがあります。
パスとは「道」ファインダーとは「探すもの」。野外活動と奉仕活動を行っています。

パスファインダークラブでの新春子供茶会もかれこれ15年続いています。

茶道の心得のあるおばあちゃま方が指導してくださることから始まって、その方々がリタイヤしてからは、私が茶道を学びに行くようになり、私の師匠が指導してくださった時代もありました。

今年は、学生時代から長く茶道を続けていたM姉妹が指導してくださいました。
いつも時に適った、協力者を備えてくださる神様に感謝と讃美をおささげします。


牧師先生は、お茶室の写真を見せて「にじりぐち」という小さな入り口から出入りすることを話してくださいました。
持っている物を捨てて、身をかがめて、小さくならないとにじり口からは入れない。
それは、天国へは狭い門からしか入れない、ということを表している。
余計なものを捨てて、捨てて、神様の前にへりくだるという心だとお話しくださいました。
千利休はキリスト教の聖餐式からヒントを得て、茶の湯の「お濃茶」のまわしのみの作法を作ったということも話してくださいました。


M姉妹に、長年茶の湯をやっていらして、一番子供たちに伝えたいことは何ですか?
とお訊ねしました。

「茶会を始めるまでには、念入りに下準備をします。
そして、余計なものを捨てていきます
その単純な簡素さの中にお客様を迎える心を込めます。

M姉妹は、自宅のお庭から、やぶ椿、梅、水仙を切って来られました。
花入れも3種類用意くださいました。
そして使ったのは、一つの花入れに、やぶ椿を一枝。


私はお茶を点てる、という「点」という字について。
それから、イエス様は最後の晩餐の前に、弟子たちの足を洗われましたが、お点前さんの帯にはさんだ「ふくさ」はイエス様が弟子たちの足を洗って拭いた手ぬぐいの象徴であること。
そして、お茶のお点前をしてくださるM姉妹の動きをしっかり観察して、無駄のない所作の美しさを感じてください。
という三つのことを話しました。

そして、お茶会の始まり。
ご挨拶の仕方、お菓子の頂き方、お茶の頂き方、を学んで実践。

お正客さんを務めてもらった6年生の花ちゃんには、
お茶を一口いただいたら「けっこうでございます」
「お茶名は?」「おつめは?」「お菓子名は?」「お菓子元は?」と、お訊ねすることは、感謝の気持ちのあらわれの一つですからね、とご挨拶をしていただきました。

M姉妹の点ててくださったお茶を全員が頂いた後、二人一組になって、お互いのためにお茶を点てました。
小学生の子供たちや、幼児を連れたお母さん方には、茶の湯の心は「互いに愛し合う」というイエス様のご命令に沿ったものであることがしっかり伝わったと思います。

「点」については、またあとで。

マラナ・タ
お茶を頂くと言う日常の中に、神様の愛をくみ取り、実行する。
これこそが茶の道。
茶の道はキリストの道につながっていきます。