ごきげんよう!さわこです。

クリスチャンの中には、日本のお正月行事を好まない人も多いのではないか。
しめかざり、門松、初詣。
どれも悪霊と関連付けて危険視する人もいるのではないか。
クリスチャンになった当時、読んだ本の中にそういう内容のものもあったように思う。
クリスチャンの中には、家の宗教の板ばさみで苦悩する人もいることだろう。


私の教会では「お正月には〇〇してはいけません、××するのは危険です」とかいう
おふれはない。
アドベンチストホームや牧師家庭と、一家の中で一人二人が信仰を守っている家では、同じような訳にはいかないものだから、あえてそういうおふれや基準を出したりはしないのではないかなと思う。

中には「クリスチャンですから、私は〇〇しません。××しません」という方もおられた。
おせち料理をつくる家庭もあれば、お正月だからって世の中の人に合わせるようなことはしません、という強面クリスチャンもいるかもしれない。

私の嫁ぎ先は、明治時代には曽祖父母がキリスト者となったが、ひ孫の代にはクリスチャンは一人もいなくなって、神道にもどってしまった。
信仰の継承の難しさを思う。

さて、私はそういう家に嫁いだものだから、神道に即した正月行事につき合ってきた。
結婚後15年経ってクリスチャンになったのだが、「私流」を主張はしないまま夫に合わせてきた。
元日には、大神宮、八幡宮、出雲大社、と初詣三社参りをする習慣も、夫に合わせてずっと続いているが、クリスチャンになってからは「お札」は買わない。
夫も買うようにとは言わないので(笑)ほっとしているのだが。

イスラエルの幕屋(神殿)と日本の神社の構造が極めて似ているとか、神社の赤い鳥居は、過越しのときに小羊の血を柱と鴨居に塗ったところからきているとか、そういう話も聞いたものだから、日本の神社を多神教の邪教だと決めつける気持ちにはならなかった。

やがて、そういう関係の本を次々と読み、勉強していくにつれて興味深いことを知るようになった。
八幡宮は、「ハチマン」ではなく本来は「ヤハタ」と呼ぶ。
「ヤ」は「ヤーウェ」のこと。
「ハタ」は秦氏のこと。
秦氏が信じるヤーウェの神をお祭りした神社という説。

稲荷神社は、イナリとは「INRI」のこと。
イエス様の十字架の上につけられた罪状書きが「INRI」 であった。
つまり、稲荷神社とは「イエス・キリスト神社」のことという説。


キツネをまつっている神社と考えている人もいて、キツネを神とするなんて野蛮な宗教が日本にはあるという人もいる。

そうした知識が入ってくると、夫のお伴をするのも、苦痛ではない、不快でもない。

八幡宮は「父なる神様」をまつり、稲荷神社は「子なるイエス・キリスト」をまつっている。多くの日本人は、そのことを知らないままに、詣でているのである。


使徒言行録17:23で「道を歩きながら、あなたがたが拝むいろいろなものを見ていると、『知られざる神に』と刻まれている祭壇さえ見つけたからです。それで、あなたがたが知らずに拝んでいるもの、それをわたしはお知らせしましょう。」
とパウロが言っているのと同じ現象なのだ。

イザヤ44章にも「無力な神を造り 役に立たない偶像を鋳るもの・・・」(44:10)無力な偶像という記述がある。
偶像を恐れることなどないのだ。
無力なのだから。愛なる神とはどだいレベルが違う。

日本の古来の神道は、唯一神を礼拝していた。
今、言われているように、八百万の神を拝んでなどいなかったのだ。
唯一の神をさまざまな名称で呼んだに過ぎなかったのだ。


たとえば、「大地を造りし神よ」「大いなる海を造りし神よ」「高くそびえる山を造りし神よ」「雄大なる大河を造りし神よ」「日ごとの糧をくださる神よ」「ゆたかな実りを与えし神よ」「小さな種の中に命を込められた神よ」etc・・・
このように、神の恵みを一つ一つ数えて呼んでいくなら容易に800万(八百万)になってしまうことだろう。
小さきものにも、大きなものにも、神は生きるいのちを与えられた。
互いに仕えあうことで、互いを生かすことができるようにデザインされた。
神の造られたもの、一つ一つの中に神の命と愛を見出して、大切に尊重していくこころ。
要するにそういうことなのだと思う。
それを、多神教だ、偶像礼拝だと、ひとくくりに呼ぶ。
そういう唯我独尊的なスタイルが、本来のキリスト教と呼べるのだろうか。
日本の古来からの神社も仏教も、キリスト教(聖書の宗教)の変容した宗教と単純に言ってしまえるのかもしれない。

古代日本に伝わったキリスト教(紀元前の時代から少なくとも2-3世紀ごろまでに伝わった)は、そうではなかったように思う。
1549年にカトリックキリスト教がザビエルによって伝わった。
明治になって、欧米諸国からプロテスタントのキリスト教が一気に押し寄せてきた。
第二次大戦後、戦勝国である連合国からのキリスト教が、敗戦国日本を救援しようという善意のスタイルで入ってきた。

ある人は、「日本の神は戦争に負けたが、キリストなる神を仰ぐ国は戦争に勝った、だからキリスト教を信じることにした」と言った。
また、ある人は、戦後にキリスト教を信じたいと思ったので、どこにしようかと考えたが、アメリカという国に憧れていたので、アメリカに教団の本部のあるSDAを選んだと言った。

入信のスタイルや動機は様々だから、そういうこともありなのだろうが・・・

今までの価値観が一気に崩れ去る時、人々は新たな支えを求める。
今までの価値観を受容してくれる新たな価値観であるならばなおさらだ。
明治の初め、多くの武士層がキリスト者となっていった。
武士道精神とキリスト教精神は響き合う。
新渡戸稲造、杉本鉞子、新島譲、新島八重、内村鑑三・・・
明治時代の日本の政治、精神分野を支え牽引していった素晴らしい人たちの多くがキリスト者であった。

古代日本にもたらされた聖書の神は、こうして今に至っていることを思うと、クリスチャンになってからも、夫のお伴で、元旦に神社仏閣に行くことに私は不安や罪悪感を持つことはない。

一族あげてクリスチャンであったり、聖職者の家庭であったりするならば、私のような元旦行事をすることはないだろう。私の場合は特殊なケースかもしれない。

私のこうしたスタイルを危険視する意見もあるだろうな・・・と思いつつ。

マラナ・タ
人はさまざまなスタイルで信仰生活を歩みます。
神様、それぞれを祝福して、正しい道を歩ませてください。