ごきげんよう! さわこです。

各時代の大争闘 第36章「差し迫った戦い」の要旨をまとめました。
36章は長くなるので、何回かに分けて、ノートから書き写しつつ紹介します。
この作業は、翻訳文特有の、原語に忠実過ぎて日本語として混乱してしまうような表現がありますので、私が理解できるように咀嚼して書いたりしていますから、この本の訳通りでない部分もあります。青字は本から。黒字は私の感想

サタンの目的とは何か?
サタンの反逆の目的は神の律法を覆すことである。

・ ヤコブの手紙2:10には、律法の一つの点でも犯す者は律法全体を犯したことになる、と書いてあります。

・ サタンは聖書の教えを曲解させ、聖書を信ずると告白する者たちの信仰に誤謬を混ぜてきた。

・ 主の戒めVS人の掟、  聖書の宗教VS作り話と言い伝えの宗教
真理と正義に対抗する勢力(サタンの勢力)が今も活発に働いている。

・ 聖書は、誰の手にも入るようになったが、それを真に人生の道しるべとして受け入れる人は少ない。

・ キリスト教信仰の支柱そのものになっている教理を否定するキリスト教の教えさえある。

・ 創造の事実、人類の堕落、贖い、神の律法は永遠に真理であること、これらを部分的に、あるいは全体的に受け入れないキリスト教会も存在する。

・ 神の律法が変更された、廃されたと教える教会や指導者たちもいる。

・ 聖書の真理の否定、神の律法の否定は、神の権威の否定である。

・ サタンは神の属性を誤まり伝えようと画策している。

・ 多くの人々は、哲学的偶像が神に取って変わってしまっている。

・ 自然を神格化することで、自然を創造した神を否定している。

・ カタチこそ違え、偶像礼拝は今日のキリスト教会にも、古代イスラエルの時代にあったと同じように存在している。

・ 哲学者、詩人、政治家、ジャーナリストなど、世の賢人と称される人々の中にも、洗練された上流社会や多くの有名大学や神学校などの中にも、フェニキヤの太陽神バアルとほとんど変わることのない偶像を神としている場合もある。

つまりラベルは「キリスト教」でありながら、中身は「偶像礼拝」という場合があるのだから、識別力を神様に常に願い求めて、聖書を字義通りに読む訓練をし続けなくては、神の声を聞き分けることができなくなるのではないのだろうか。
勿論、聖霊の導きを求めて祈りつつ…が大前提である。(以前、こういう感想を口にした時、自力と知性で聖書を読もうとしているかのように言い返されて、びっくりぽん。だから、祈り+聖霊の導きを枕詞のように先ず、発言してから出なくては不要な誤解を引き起こすのだと体験した。


無法がもたらすもの
神の律法はもはや人間を束縛しない、拘束しないという近代的教理は急速に力を増して有害なものとなっている。

・ 神の課せられた拘束を投げ捨てることは、サタンの支配を受け入れることである。(フランスに置いて、無神論が支配的な勢力となったとき、恐るべき光景が繰り広げられた史実がある)

・ 不従順の精神は、もともと支配されることを喜ばない子供や青年たちの心に植えつけられることによって、無法で放縦な社会が生じる。

・ 人間は神のご要求に従うことから解放されているという教えが、道徳的義務の力を弱めて、世に不法の水門を開いてしまった。

・ 新聞は諸悪の詳細を報道し人々に詐欺や強奪や殺人を行う方法を教え込んでいる。

このことは、EGホワイトの時代には新聞だけであったが、21世紀の今、テレビ、インターネット、あらゆるメディアを通して、100年前以上に報道されるようになった。報道の自由・表現の自由と言いながら、サタンに支配される思考に染まっていくだけではないのか、ときになっていたことです。大義名分を掲げて、結局は不自由になっている。「真理は自由を得させる」と聖書は言っています。虚偽は不自由を招くのです。

不節制によって、多くの人々の能力がくもらされている。

続く

マラナ・タ
霊感に導かれて書かれたEGホワイトの書物は、とても100年以上のものとは思えないほどに、現代にぴったり当てはまる。
彼女は神様からの大きな使命を与えられて、それに忠実にお答えした人物だったのですね。
せっかくSDA教会に導かれたのだもの、EGホワイトの書物を愛読書としたいものです。