ごきげんよう! さわこです

キリスト教会では、「リバイバル」という言葉を頻繁に聞きます。

例えば、私がバプテスマを受けた時にも、
夫の一族の伯母様が「〇〇家にリバイバルが起きた!〇十年祈ってきたの」と涙を流してくださった。
一族と同じ日本基督教団ではなかったにもかかわらず、「SDAはいい教会よ」と言ってくださった。
その伯母様と、母の従姉が友人だったこともあって、伯母様はSDAに好意を持っていてくださったのだった。

リバイバルとは、世的な意味では、かつて流行したことが、再度流行すること。
キリスト教会では「信仰復興」
○○家の消えかかったキリスト信仰に、再び小さな火が灯ったという意味だったのだろう。

個人的にリバイバルが起きたと聞いたものだから、入信当時から「リバイバルとは如何に?」と気になって仕方がなかった。

「各時代の大争闘」を書いたEGホワイトは今から150年前の人。
つまり、その頃から(あるいはもっと以前から)キリスト教会ではリバイバルが叫ばれていたのだろうか・・・

EGホワイトは「現代のリバイバルは本物か?」と問いかけている。
リバイバルには本物と偽物があるので識別するようにと警告しているのである。


ということで、この章に書かれたEGホワイトの言葉を(自分の言葉で書き直しながら)紹介していきたいと思う。

① 力ある神の言葉が忠実に説かれたなら、自分たちの罪を贖うのは、キリストの功績以外にはないことに、罪びとの良心は目覚めるのである。

② 人間を神と和解させることができるのは、キリストだけである。

③ 人に深い内省と謙遜をもたらし、イエスの名を告白する者たちの生活が改革するならば、その人は真の悔い改めを受け取り、リバイバル(信仰復興)がその人の上に起きたのである。

④ 多くの人が関心を煽られ、改心したと告白し、教会に多数の信者が加わったからと言って、それに伴った真の霊的な生命が向上していることを保証する結果が伴っていないならば、一度燃え上がった火はすぐに消えてしまう。

⑤ 人の想像力に訴え、感情に刺激し、新奇なことに心を満足させることで、真のリバイバルを起こすことはできない。

⑥ 世俗のことに心を奪われてしまい、永遠のことに気を配る敬虔な信徒がいなくなったかのように見える教会の中に、キリストの真の弟子たちは残っているのである。

⑦ 地上に最後のさばきが下るに先立って、主の民の間に敬虔なリバイバルが起きる。神の霊と力が、神の民の上に注がれる。

⑧ 神と神の言葉よりも世の方を愛してきた教会から離れて、クリスチャンたちは神の言葉である真理のもとに集まってくる。

⑨ しかし、魂の敵はこの働きを妨害しようとする。偽物を提示して妨害しようとする。

⑩ 敵の欺瞞の力の支配下にある諸教会において、神の特別な植福が注がれているかのように見せかける。

宗教的装いをもとに、サタンはキリスト教世界に自分の勢力を広げようとする。
感情の興奮、真理と虚偽の混合が見られ、人を欺くのである。

⑫ 危機の原因の一つは、律法は福音とともに神の品性を反映する鏡であるにもかかわらず、説教壇から神の完全の写しである律法を強く主張しないことにある。

⑬ 現代の説教の傾向は、神の義を神の慈愛から引き離して、慈愛を一つの感情に低下させている。

誤まった根拠のない律法観が流布されている
・ キリストはご自身の死によって律法を廃された
・ 律法は重苦しい軛に過ぎない
・ 福音のもとにおいて、律法の束縛からは解放されて自由を享受するようになった

キリストの死は、律法を廃止したのではなく律法が不変であることの証明である。
・ 「わたしが律法や預言者を廃するために来たと思ってはならない」マタイ5:17
・ 「天地が滅びゆくまでは律法の一点一画もすたることはない」マタイ5:18
・ 「愛は律法を完成するものである」ローマ13:10
・ 律法は神野心と意志の表現である。
・ 神の品性は義と真理である

⑯ 律法と信仰との関係
・ 改心と清めの働きによって人間は神の律法の原則と調和することができる
・ 人間が創造されたとき、神の性質と神の律法とに完全に調和していた。人間の心には義の原則が書かれていた。
・ しかし、罪が人間を創造主から引き離したので、神の形を反映しなくなった。そして人の心は神の律法の原則と争うようになった。
・ 神は人間が神と和解することができるように、その独り子を賜ったほどに人間を、愛してくださったので、人間はキリストの功績によって、創造主との調和を回復することができるのである。
・ 神との和解の第一歩は罪を認めることである。
・ 神の恵みによって新しくされることを新生という。
・ 律法は人間に罪を示すが救いは与えない。
・ 律法は服従するものには生命を約束するが、犯す者には死を宣告するので、人間を罪の宣告から解放することができるのは、キリストの福音だけである。
・ 人の心は、新しく生まれることにより、神の律法と一致するとともに神と調和するようになる。
・ 人間は律法がなければ、自分自身の罪の汚れを自覚できない。


◎ 人間が罪についての真の自覚もなく、悔い改めの必要も感じないならば、自分たちが神の律法の違反者として失われた状態であることを悟ることはなく、キリストの贖罪の血の必要を自覚しないのである。

◎ こうした心の根本的変化も、生活の改善もなしに救いの希望を受け入れると言う表面的な改心が行われると、キリストと真に結合したことのない多くの者が教会に加えられていく。



マラナ・タ
長くなりますので、また明日。 続く