ごきげんよう! さわこです
第9章「目立つことを求める」の章の続きです。

EGホワイト「大争闘27章リバイバルと清め」からの引用です。

地上に神の最後のさばきが下るに先立って、主の民の間に使徒時代以来、かつて見られなかったような初代の敬虔のリバイバルが起こる。

魂の敵はこの働きを妨害しようとする。
そして、こうした運動が起こる前に偽物を提示することによって、それを妨害しようとする。

彼は、自分の欺瞞の力のもとに置くことのできる諸教会において、神の特別な祝福が注がれているかのように見せかける。

大いなる宗教的関心を思われるものが現れる。
多くの人々は、神が彼らのために驚くべきことをしておられると喜ぶが、それは別の霊の働きなのである。

宗教的装いのもとに、サタンはキリスト教世界に自分の勢力を広げようとする。

サタンはしばしば、われわれが彼の支配下にある人物だとは思いもしないような人々を用いて、実に巧妙に働きかける。

知的で教養があり、礼儀正しい人が多くいるが、このような人々はサタンの手にある洗練された器に過ぎない。

悪魔は、生活が変わったように見える人を利用し、善良で道徳的で親切な愛に富む人を用いる。

(善良で、道徳的で、教養があり、礼儀正しい人がサタンの手下だと決めつけているのでは、もちろんありません。どのような善意の人であっても、サタンは利用する、私たちの安心感や信頼感を利用するのです。サタンをあなどってはいけません。こういう意味でEGホワイトは書いたのだと思います)


リバイバル・信仰復興はキリスト教の歴史の中で、何度も繰り返されてきました。
各時代の大争闘「リバイバルと清め」の章を読みながら、「偽りのリバイバル」もあるのだと認識しました。
リバイバルに見せかけた別の霊(敵の霊)も働くというのです。


著者リンデン先生は、偽りの信仰のリバイバルに陥るには二つの可能性があると言っています。

① 神の律法や命令をよく知っているが、イエスとの個人的関係を持っていない。
② 神の律法をみな受け入れていないが、イエスとの深い経験を持っている。
このどちらか一つのことに満足しているならば、偽りの信仰のリバイバルに陥ることになります。
この二つを持つことが必須なのです。


理性的なタイプは、神の律法や命令をよく知ることで満足してしまう誘惑があります。
情緒的なタイプは、小難しいことはわからなくても、イエス様を感じて、大丈夫なのだという満足感に陥る誘惑があります。

神の戒めを守ろうとしても、信仰がなければ平和や喜びはありません。

しかし、戒めを守っている(あれをしない、これをしない。あれを食べない、これを食べない)といったストイックな達成感による満足や喜びはあるのかもしれません。

私自身、イエス様を救い主とする信仰を受け入れる前に、マクロビオティックに凝った時期がありました。
両親が相次いで大病になったことがきっかけでした。
肉類が好きで美食家の親たちでしたから、きっとこうした病気は食生活に問題があるのだと思い、玄米菜食に切り替えたのでした。
子どもたちも育ち盛りでしたから、健康な体づくりをしておいてあげたいとも思いました。

いかに、美味しく作るか、子供が嫌いにならないようにするか、夫にも喜ばれるようにするか、創意工夫に情熱を注ぎました。

料理人としての主婦の満足感、達成感をたっぷりと体験しました。
その当時の私は「玄米菜食教」に陥っていたのだと思います。

しかし、食を通して「人は天地の恵みに生かされている存在」であることに気づかされたのでした。
私の心の包皮が一枚はがれていったようでした。

その時に、「預言の声通信講座」で聖書を学び始めたのでした。
聖書の教えが、ぐんぐん入ってきました。
そして、聖書の御言葉を通してイエス・キリスト様にお会いしたのでした。


食生活を正すことも、神様を受け入れるための備えとなったのでした。
しかし、あくまでも「備え」に過ぎません。


それは、救い主なる神様に取って代わる物ではないのです。
「手段」に過ぎません。
「手段」というのは「目的」に取って代わることも起こり得ます。
私は「玄米教」に陥るところでした(笑)
ストイックな生活の緊張感のある快感も味わいました。
玄米菜食によって「人は自分の力で生きているのではない」という価値観の転換で止まってしまったかもしれなかったのです。

生ける神であるキリスト様に代わるものではありませんでした。

マラナ・タ

1、キリストには代えられません
世の宝もまた富も
このお方が 私に代わって死んだゆえです
※世の楽しみよ、去れ 世のほまれよ、行け
キリストには代えられません
世のなにものも

2、キリストには 代えられません 有名な人に なることも
人のほめる 言葉も この心を 引きません
    ※繰り返し

3、キリストには 代えられません いかに美しい物も
このお方で 心の 満たされている 今は
     ※繰り返し