ごきげんよう! さわこです
「あなたの友 聖霊」モーリス・ベンデン著、行きつ戻りつしながら読んでいます。

聖霊の4つの働きについて、おさらいします。
① 世の人に罪を知らせる
② 罪人を悔い改めに導く
③ クリスチャンをきよめる
④ クリスチャンに力を与えて奉仕の業をさせる

この④番目の意働きが、聖霊のバプテスマを受けた者が為せる働きである。

聖霊は、時間と段階を踏んで④までの働きをすべてのクリスチャンに与えたいと願っておられます。
しかし、私たちクリスチャンは①②の段階で満足して止まってしまうことを選択することも許されるのです。
なぜなら、神様は強制をなさいませんし、人間の自由意思を尊重なさるからです。
聖霊は人格を持っておられますから、
もし、私たちが「①と②の段階で止まっていたいの、それで十分です。私は赦された罪びとですから、清められるなんて私には無理。体も弱いし、才能も、時間もないし、奉仕なんてとても無理。でもこんな弱い私を神様は愛してくださっているし、救ってくださって天国に連れて行ってくださるのですから、十分なの」と言うならば、どうでしょうか?

聖霊は悲しまれるのではないでしょうか?
人間の方が勝手に限界を決めているのですから。
それを求め、祈り、与えられることを信じることをやめてしまってよいものでしょうか。

でも、それも途中過程のひとつ。
小さな危機をやり過ごしたものには、大きな危機が起きることを許されて、ヤボクの渡しでのヤコブのように、神様に肩に手を置かれて戦いの内に自分の限界を悟り、神様に縋りつく時がやってくるのです。
その時こそが、聖霊の四つ目の働き、聖霊のバプテスマを受ける時なのです。
ヤコブは20年かかりました。
パウロは三日間、ペトロと他の弟子たちは三年間かかりました。

私たちは、今、どの段階にいるのでしょうか?


第7章は、聖霊のバプテスマについて学びます。

聖霊のバプテスマとは、聖霊の4番目の働きであり、クリスチャン生活における究極の働きのことです。

「聖霊に満たされる」「聖霊を賜る」「聖霊の賜物を受ける」「父の約束を受ける」
いずれも同じ意味のことです。

1、 聖霊のバプテスマをいつ受けたのかわかるか?
・ イエス様は、聖霊によってバプテスマを受けるまではエルサレムにとどまれと言われた。

・ 改心したときに、きよめがはじまる。

・ 自己に頼ることをやめて全的に神に信頼することが献身であり、その時に聖霊が十分に与えられる。

・ 今日、パウロがあなた方のもとに来て「あなたがたは信仰に入った時に、聖霊を受けましたか?」と尋ねられたら、あなたはどう答えるか? YES or NO


2、 聖霊のバプテスマは、聖霊の働きであって、改心とは区別されている。
・ 改心も聖霊の働きであるが、自分の自由意志で選び取る。

・ 聖霊のバプテスマは、聖霊の満たしの経験である。上からの力を受ける。

3、 聖霊のバプテスマの目的とは?
・ 奉仕のためである。奉仕の使命である。
・ 地上における神のわざの進展のために与えられたもの。
・ 自分をきよめるものではない。自分の心を満たすためのものではない。
(きよめは聖霊の③の働きである。)

4、 聖霊のバプテスマの証拠とは?
・ 異言や預言の賜物とか、風や火ではない。

・ 失われた者を救う情熱。
イエス・キリストの福音を他の人々に伝えようとする重荷を感じ取ること。

「もし、私が平和的な教会員で満足し、毎週毎週、教会の座席の誇りを払うだけで、証をするために出て行かないならば、それはおそらく、私がまだ聖霊に満たされていない最大の証拠です」

「罪の内に滅んでいく世界の必要に答えるために、神と角力をとり、聖霊のバプテスマを熱心に祈り求めねばなりません」レビュー・アンド・ヘラルド1,910年3月31日号

「自分の魂の貧しさを自覚し、聖霊を与えられるように熱心に求める人が必要です。聖なる救い主の比類のない魅力について語る時、私たちの心はやわらかになり、聖霊に満たされます。聖霊のバプテスマによって上よりの力を与えられなければなりません。」
レビュー・アンド・ヘラルド1892年4月5日号

「イエスは、毎日、神との交わりに幾時間か過ごしたあとで、人々に天の力を与えるために出て行かれた。イエスは日ごとに聖霊のバプテスマをお受けになった」
キリストの実物教訓114頁

聖霊のバプテスマとはなんぞや?
・ 異言を与えられることであるかのように語る人もいた。

・ バプテスマの目的は「奉仕のためである」と聞くと、教会の行事や活動に華やかに働く人のことだろうか。

などと色々考えたこともあった。

聖霊のバプテスマとは
「奉仕の使命である」この説明は誤解してしまいそうだった。
奉仕ときくと、あれこれと忙しく教会や人にお仕えすることのように思ってしまっていた。
自分のことや自分の利益から離れて人のために仕えることのできる人のように思っていた。

しかし、聖霊のバプテスマを受けた人とは
「イエス・キリストの福音を他の人々に伝えようとする重荷を感じることである」との説明に目の前の霧が晴れていくようだった。


聖歌「主の愛の汝がうちに」の二番の歌詞を思わず歌った。

♪ほろびゆく たましいを 重荷とはなさずや
なにゆえに 主の救い 人々に語らぬ
もちいたまえ 我が主よ
もちいたまえ 我をも
み恵みをとりつぐに 通りよき管として ♪

マラナ・タ
父なる神よ、祈ります。
罪の内に滅んでいく世界の必要に答えるために、聖霊のバプテスマによって、上よりの力が与えられますように。自分の魂の貧しさを自覚し、聖霊が与えられるようにと、祈る熱心をお与えください。キリストのみ名によって。アーメン