ごきげんよう!さわこです。

ウオッチマン・ニー「私ではなくキリスト」を読んでいます。

その中で、これは・・・と思いましたので、抜粋して紹介します。

「告白すべきでない罪があります。あなたの告白を聞いた人がその結果、不安となるとすれば、自分の良心をなだめるための告白はすべきではありません。自分を平和にするが、他人の平和を奪い去ることはすべきではありません」  P57

「・・・不幸にして、彼女は詳細に告白しました。確かに彼女は、そのあとで良心のとがめはなくなりましたが、聞いた相手は、多くの罪へとのめり込んでいきました。
そのような過ちに陥るべきではありません。
ある事柄は詳細に説明されてもよいでしょうが、ある事柄はただ触れるだけでよいのです。ある人には何もかも告げてもよいでしょうが、ある人には詳細にわたって話してはなりません。」
  (要約)P59


告白するにあたって、識別力を持たねばならない。
微に入り細に入り告白することを悔い改めのように思ってはならない。
洗いざらい話すことで、悔い改めたかのように思い違いしてはいけない。
自分はすっきりしたように思っても、聞かされた人の苦悩がそこから始まるかもしれないのだ。



マラナ・タ

今年の初めにイザヤ11:2より主から頂いた祈りです。

私の上に主の霊がとどまりますように。
知恵と識別の霊、思慮と勇気の霊、主を知り、恐れ敬う霊をお与えください。