ごきげんよう!さわこです。

この本を読んだのは多分5年くらい前。
たいてい読み始めた日付を書きいれているのだが、忘れることもあって残念ながら書き込んでいませんでした。
この夏、NHK BSで、杉本 鉞子の生涯がドラマ化されていたことを後になって知ったのは、残念なことでした。
基本的に、新聞もテレビもあまり見ない生活なので、家人がつけている番組に興味をそそるならば、お相伴するという程度。
メディアの偏向ぶりに、不安に陥れられ洗脳されてしまう可能性を考えたら、新聞も読むには値しないし、テレビも録画したり家人とチャンネル争いしてまで見なくても(笑)と思う昨今なのであります。

そんなわけで、後になって「しまった!」ということもたびたび。
知人のご不幸も知らぬままに失礼をしてしまうこともあり、家人に注意をされることも。その後、何日かは「死亡欄」だけを見るように注意するのですが、結局、習慣づいていないので元の木阿弥(笑)

数年前、美容院で「家庭画報」を眺めていて、杉本 鉞子のことを知り、このような素晴らしい人のことを全く知らなかったことを恥じて、急ぎアマゾンで取り寄せ一気に読んだのでした。


このたび、再読しようと思ったのは、求道中のある女性と親しくなったからなのです。

彼女が、ご両親のことを思うとキリスト教の洗礼を受けることの決心がつかないと言われたとき、私は母が「お父さんだけ、お受けなさいませ。私は結構でございます」と毅然として言い放った日のことを思い浮かべたのでした。

彼女も、母も、夫に忠実に従う妻としては日本女性の見本のようでありながら、自分の心の世界に関しては、自立できていました。
夫の思想に流されるままではなく、自分の意志で選択しようと願っていました。
「あなたがそう決心なさいますなら、わたしもご一緒いたしましょう」とは決して言わなかったのです。

彼女のご主人も私の父も、聖書を通してイエス・キリスト様に捕えられ「わが主」と受けとめたとたんに洗礼の決心を速やかにする行動力と潔さがありました。

しかし、ただのお付き合い精神で、人生の一大事を決めてしまわない「誠実さ」に、私は彼女に母の面影を重ねて、彼女は信頼できる人だと思ったのでした。

母の時がそうであったように、神様は「自立」「誠実」と言った健気な正直な魂を愛してくださるお方です。
彼女の魂に神様が触れてくださっていること自覚した時がグッドタイミングなのです。


母の時には牧師が「奥様の受けたくない理由はなんですか」と聞いてくださり
母は「わたしは安息日には、お掃除や洗濯をしとうございます。畑の手入れにも行きとうございます。」

「そうすることが、あなたにとって神様をたたえて感謝なさる時となるならば、どうぞ、そうなさってください」

この牧師の言葉に、母は目を丸くして驚いてしまったのでした。そして急転直下
「はい、わかりました。一緒に受けさせていただきます」と母の決心の言葉が引き出されたのでした。

もし、牧師が「そうですか。神様の時を待ちましょう。今回はご主人だけにしておきましょう」と言っていたら・・・

あるいは「洗礼は神様と人間の結婚式の様なものです。この大切なチャンスを生かすためにもあなたはご主人に従うべきです。」と言っていたら・・・

あるいは「人の命の明日はわかりませんよ。あなたはご主人と天国に行けなくていいのですか」と言っていたら・・・

母はどうしたであろう、と考えるのです。
母の感受性はこじれたに違いありません。そこにサタンが巧みに働いて、母は人間的に良い人として生きてはいても、神様につながるタイミングを逃してしまったかもしれない・・・と思うのです。

牧師の言葉はまことに知恵の言葉でした。神様が注いでくださった智慧の言葉でした。

しかし、母は安息日礼拝を守り、家庭集会のために自宅を解放し、聖書を読み、祈りの日々を健やかに過ごながら、親戚縁者には自分が洗礼を受けたことを公言しないままでした。
求道中の友である彼女のように熱心な仏教徒の親戚や姉妹たちに気遣いし続けたのでした。

母が亡くなった時、私は弟に
「喪主はあなただから、あなたのしたいようにお葬式をなさいね。ただ、父さんと母さんが洗礼を受けて13年になるわね・・・」
と言った時、

弟は驚いて
「知らなかった・・・ではキリスト教式の葬儀以外は考えられないではないか。なぜ、親父さんの時に母さんは言ってくれなかったんだ。僕が帰ってきた時には仏式の祭壇がすでにあったのは何なのだ?」

「母さんは、親戚の人たちを気遣ったのよ」

「僕が早く帰って来ていたら、そうはさせなかった。そういう気遣いは無用だよ。親父さんには何とかわいそうなことをしてしまったのだ・・・」
と弟は涙を流しました。

「僕は、今のところ特定の宗教を信じてはいない。しかし、葬式は残された者のものではなく、亡くなった人のためのものだと考えている。母さんの信仰を尊重しよう。そして一年後の祀りは、教会で追悼記念式を父さんのためにもしてあげよう」

そして、前夜式も、告別式も、納骨式も、追悼記念式も、すべてキリスト教式で行い、親戚縁者たちからは何の不満も出ることはなく、キリスト教のお葬式もお祀りもいいものだねえ…と言ってもらったのでした。

「まったく見当はずれの母さんの気遣いだった。隠れキリシタンを決め込んでいた母さんだったね」と亡くなってから、息子に笑われる結果となったのでした。


求道中の彼女の置かれた状況を尊重しながら、彼女の魂に寄り添うには、如何にしたものか…と祈っていましたら、神様は「ほら、杉本 鉞子『武士の娘』、を紹介して語りあってはどうですか」とささやいてくださったのでした。


マラナ・タ

前置きが長くなりました。
杉本 鉞子「武士の娘」については②をどうぞ。
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