ごきげんよう! さわこです 

「異教としてのキリスト教」松原秀一著 平凡社ライブラリー

数か月前から、他の本たちと並行しながら読んでいた本ですが、ようやく完読。

著者は、最近86歳で亡くなった方であるがフランス文学者であり中世フランス文学が専門の大学の先生である。
戦後すぐ、プロテスタントキリスト教の洗礼を受ける。
1960年カトリック信者である女性との結婚に際して法王庁大使館に赴いたところ、尋問のような応接を受けたそうだ。
新教と旧教ではうまくいかないから断念するようにと説得されて面食らい、洗礼を受けた牧師にカトリックの人間理解の深さについて感想を書き送ると反論された、とあった。
それで、その結婚はどうなったかは書かれていなかったが、きっと結婚なさったのだと思う。
カトリック、プロテスタント、双方のキリスト教に通じていらっしゃるお方かなと思った。
プロテスタントの教会員でありながら、フランス文学を通じてカトリックの知者識者たちとの交流をもっておられる。

あとがきに「・・・個人の霊魂の永世が信じ難くなってきて、使徒信条を唱えると違和感を覚えるようになってくる著者としては、信仰の対決を迫られている・・・」とあって長年のキリスト者であるフランス文学者が、こういう信仰の課題を抱えてこの本を書かれたのかと感慨深かった。

私は25年のセブンスデーアドベンチストであるが、わが教団では使徒信条を唱えることはしない。
聖書通読や聖書研究、聖句の暗誦、デボーションについては勧められ、SDAの基礎教理、ダニエル書、黙示録などの研究には熱心なのだが、どういうわけか使徒信条は唱えない。
聖書研究をすれば、信条とすべき聖書の真理はわかるのだから、その必要性などはないのではないのかということなのかと思う。

そんなことを思いながら本日ようやく完読。
一般教養的キリスト教史を学んだように思った。

① 東方の一民族の一小集団の信仰であったキリスト教は、どのように西洋にまた世界各地にひろがったのか。

② 一神教であるはずのキリスト教が、聖者伝説、聖遺物に対する信仰、聖母マリヤ崇拝など、多神教を批判しつつ、やっていることは多神教と変わらないのはなぜか。

③ ヨーロッパ各地の多神教の神々は、聖者に置き換えられ、マリア崇拝に吸収していき、キリスト教はヨーロッパを制覇したが、同じ神を信じるイスラム教、ユダヤ教との対立、摩擦は今に至るまで続いているのはなぜか。

④ 産業革命以後、キリスト教国は文明を先導してきたのは事実なのだが、アジア、アフリカ、アメリカ大陸の国々を大航時代に植民地化し、それぞれの文化、宗教を駆逐し圧殺してしまったことも含めて、キリスト教の功罪をどう考えるのか。(中高生の頃キリスト教嫌いだった理由その1)

⑤ 一神教の神を奉る中で、他の宗教を異教・邪教と呼び戦いを挑み、カトリックに反論する聖書に忠実なキリスト教グループを迫害虐殺してきた歴史がある。免罪符販売、十字軍、宗教裁判、異端審問、魔女狩り、宗教という名のもとに神からはるかに遠くなっていた中世暗黒時代。(かつてキリスト教嫌いだった理由その2)

⑥ キリスト教は近年になるまで、信者たちは聖書をさほど学ばず、聖職者である指導者たちは信者たちに聖書を学ばさず、キリスト教という宗教で国家や個人を支配してきたのではないか。

⑦ 果たして、キリスト教と自称する宗教は聖書に忠実であったのだろうか。


この本を読み終えて私の中で今まで持っていた疑問点が整理された。
そして、結論としては、流布しているキリスト教は聖書に忠実ではなく「異教」とも言えるくらい変質しているということである。


イエス・キリストは、ユダヤ教となった聖書の神への信仰のブレを正そうとした。
正しい信仰復帰、信仰回帰としての宣教活動を行って、自称正統派のユダヤ人たちから恨みを買って殺されたのである。
しかし、それは旧約聖書の初めから預言されていた神の計画であった。
神に離反した人類の救済方法であったからである。

創世記一章から聖書をつぶさに読み、新旧約聖書をそれぞれの解説書として読んでいくならば見えてくることである。

この本にも4世紀の信仰者、聖アウグスチヌスの言葉として引用されている。
「旧約聖書はヴェールで覆われた旧約聖書であり、新約聖書はヴェールを脱いだ旧約聖書である」
「旧約聖書には新約聖書が隠れ、新約聖書には旧約聖書があらわれる」


5世紀には、救世主キリストを産んだマリア信仰をキリスト教教義の中に入れることで、地中海世界にキリスト教は浸透していき急速に広まっていった。

キリスト教の真理(聖書に忠実な真理)に各地域の要素を(ゲルマン・ケルト民族の樹木信仰をクリスマスツリーとして取り入れる。古代冬至の祭りの時期にキリストの生誕を合わせてクリスマスを祝う、春の祭りとキリストの復活を重ねてイースターを祝うなど等)取り込んで少しずつ、キリスト教は変容して行き、ヨーロッパの土壌に馴染んでいったのである。

イエス様の宣教命令に従うかのように見えながら、まがい物、混ぜ物のキリスト教を伝え広めていったわけである。
それをキリスト教が世界に広まり発展していったといえるのだろうか?
広まっていったのは偽物ではなかったか?

福音書の中で、イエス様が語られた善い麦と毒麦の例え話はこのことではなかったか、と思うのである。

私のこうした疑問への答えを、聖書の中の預言書であるダニエル書、ヨハネの黙示録などの中に神様は隠しておられるのである。

「異教としてのキリスト教」を読みながら、地上における神とサタンの大争闘を見たように思う。

読み終えたあと、神様が思い出させてくださった聖句を紹介します。

① ペテロの手紙第一5:8、9
「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを食い尽くそうとさがしまわっています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に対抗しなさい」

② ペテロの第二2:1
「かつて、民の中に偽預言者がいました。同じように、あなた方の中にも偽教師が現れるに違いありません。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を拒否しました。

③ エフェソ6:12
「私たちの戦いは、血肉を相手にするものではなく、支配と権威、暗闇の支配者、天にいる悪の諸霊を相手にするものなのです」


この三つの聖句は、今の現状を何と的確に書いていることでしょうか。

そして、今、私たちはこのような時代にどうあらねばならないについても書かれています。

④ エフェソ6:13
「だから、邪悪な日に善く抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかりと立つことができるように、神の武具を身につけなさい」

神の武具とは、「真理を帯に、正義を胸当てに、福音を告げる準備を履物に、信仰を盾に、救いを兜に、霊の剣である神の言葉」(6:14-17参照)

⑤ エフェソ6:18
「どのような時にも、“霊”に助けられて祈り、願い求め、すべての聖なる者たちのために、絶えず目を覚まして根気よく祈り続けなさい」


マラナ・タ
感想文をどうしても書いておきたかったのですが、うまくまとめられそうもないなあ、と思っていましたが、神様が導いてくださいました。

ハレルヤ!


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