ごきげんよう! さわこです。

六月の終わりに、声が出なくなったとき、神様は危機についてシャワーのごとくにメッセージを注いでくださいました。

今、再び、危機について語らせてください。

昨夜、危機にある大切な人からの切実なメールが届きました。
あまりの重さに祈ることしかできませんでした。
何も出来ない時、何の助けも応援も出来ない時、祈ることを知っているとはなんと有難いことでしょうか。
しかも祈りを捧げる対象が、確固たる揺るぎないお方であるということ。
天にいます父なる神様に、ご聖霊様の導きによって、イエス・キリストの御名を通して祈る!
キリスト者の定番の祈りのフォーム、この祈りのパターンを知っているということはなんという心強さでしょうか。

数日前に読み終えた「漢字に秘められた聖書物語」にも、「危機」という漢字からのメッセーがありました。
「人間が危ない目に遭うとき、神はその人を導く機会とします。危機は人生の中で大きな役割を果たします。危機に出会うとき、神がそのことを通して、自分に何かを教えてくださる機会として、積極的に受け止めたら、人生はどんなに違ってくるでしょう。」

神様は必ず、あなたを立ち上がらせてくださいます。
私はそれを信じて祈っています。

私はもはや、何故ですか?どうしてですか?とは尋ねません。
危機や試練の果たす役割の大きさを聖書から学んだからです。

いつまでですか?いつまでなのですか?と尋ねます。
その試練の期間を忍耐できる力をお与えください。

私たちの個人的な試練も危機も、大きな人類の歴史の流れの中にあります。

主を待ち望む心を、決してあきらめることなく待ち望む力をお与えください。
神様、あなたは希望を与えてくださいました。

まもなくイエス・キリスト様がご再臨さなること。
その時には、天に引き上げられていくこと(大宇宙旅行です!)
千年間、天国、神様と共に暮らすこと。
千年の後に、神様と御使いたちと共に、地上に帰って来ること。
地上に新しいエルサレムが、神の国が建てられること。

この物語は、「こうだったらいいな」の夢物語ではなく、聖書に預言されている事実です。
聖書を学ぶなら希望を頂くことができます。

相次ぐ危機に、試練の重さに、くじけてしまいそうなときもあるけれど、
讃美の歌を歌うこと、聖書を研究すること、日々、み言葉をのパンを頂くこと、その繰り返しによって、私は強くして頂けます。
神様の正しい御声を聞き続け、読み続け、歌い続けなくては、信念を持って希望を抱き続けることはできません。

マラナ・タ
聞け、イスラエルよ。
我らの神は唯一の主である。
あなたは心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。
今日、わたしが命じるこれらの言葉を心に留め、子供たちに繰り返し教え、家に座っている時も道を歩くときも、寝ている時も起きている時も、これを語り聞かせなさい。
更に、これをしるしとして自分の手に結び、覚えとして額につけ、あなたの家の戸口の柱にも門にも書き記しなさい。(申命記6:4-9)