ごきげんよう! さわこです

続きです。

詩編56:2,9
神よ、あなたはわたしの嘆きを数えられたはずです。
あなたの革袋にわたしの涙を蓄えてください。

私の好きな聖句のひとつです。
私の嘆きも悲しみも、神様はご存知で、私の涙の行き先は神様のもとであるという事実は、なんというなぐさめでしょうか。

ゴードン・ジョンソンさんの詩が引用されていました。
私はこの詩を、この本によって初めて知りました。

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なぜ、涙が出てくるのか不思議に思いました。
物事は、あてにしていたような結果にはなりませんでした。
しかし、神はそばにお立ちくださり、落ちる涙を御覧になっています。
涙は神がおわかりになる言葉です。

神はうちひしがれた魂の涙を御覧になっています。
神はあなたの涙を御覧になり、その落ちる涙の音を聞いておられます。
神は人と一緒に泣いてくださり、手を取ってくださいます。
涙は神がおわかりになることばです。

悲しみがあなたを惨めにするとき、涙を流させるのです。
その重荷にとうてい耐えきれないように思うのでしょう。
しかし、神はあなたをお忘れではありません。

神の約束はかわりません。
涙は神がおわかりになる言葉です。

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天地万物を創られすべてを支配される神は、私たちの涙のわけをご存知です。
そして私たちが涙を流す時、私たちのそばに来てくださいます。
これほどの慰めがあるでしょうか。
悲しみの時、私たちは神の御手に触れ、新しい力を得て、立ち上がることができるのです。


マラナ・タ

「悲しむ人は幸いである。その人たちは慰められる」