ごきげんよう! さわこです

旧約聖書は漢字で書かれていた
―「創世記」が語る中国古代文明の真実―
C・Hカン&エセル・R・ネルソン 共著 林玲子訳

新しい友からお借りした本。
私の関心事にぴったりの本だった。

私は日本へのキリスト教伝来は1549年(イゴヨク伝わるキリスト教)だと教科書通りに信じていた。
航海技術が進んで大航海時代に入るまで、キリスト教も日本には到達しなかったのだと思っていた。
小学生時代の社会の教科書に洗脳されたままだったのだ。
教育の影響力よ。そのおかしさよ。

クリスチャンになってほどなく、イスラエルの幕屋(神殿)と日本の神社の構造が酷似していると聞いた。
小羊を屠ってその血を柱と鴨居に塗った家は、主の天使が過ぎ越してイスラエルの民の初子は殺されなかった。だからこのことを過越しの祭りとして祝い続けている。
この過越しはイエス様の十字架刑を表している。神社の鳥居が赤いのは、だからなのだと。


この時から、日本の文化、日本の歴史の中に隠れている聖書の教えに興味を持ち始めたのだった。

何年もかけて関連書を読んだ、読んだ、読んだ(笑)

シルクロードを経由したさまざまな宝物が正倉院にあるわけだが、聖書の宗教だけが到達しなかった、なんてことあり得る?あり得ないでしょう?普通に考えて。
と、先ずは素朴な疑問から。


失われたイスラエルの十支族が、日本に到達して、古代日本に多大な影響を与えた・・・云々についても、想像のロマンの世界だと鼻先で笑う人もいる。
その理由は、教科書にはそう書かれていないから。
正当な歴史的証拠が認められていないから。

私は、古代日本の国づくりと、古代イスラエルとの関係を次第に信じるようになっていった。
では、古代中国ではどうだったか?


昔、教会で聞いたこと。
船という漢字は分解すると、舟 八 口。船に八人の人が乗った、ということに基づいて出来た漢字だとノア夫婦と三人の息子夫婦は合計で8人。ピッタリだ。

義という字も、羊 我 からできている。
漢字の成り立ちにも興味がわいてきた。
日本に古代イスラエルが来たのなら、途中にある中国も必ずや通ったはず。

私の長年の疑問にこの本は答えてくれた。

造という字は 
土+ノ+口 土で作って命の息を吹き込むと人になった。そして歩いていった。

ノアの箱舟よりももっと古くアダムの創造から漢字で説明をしているではありませんか!


天地創造の年は紀元前4000年頃だと聖書学者たちによって調べられています。
漢字は紀元前2500年頃に作られたと書かれていました。
つまり創造年から言えば1500年くらいになるわけです。
(この紀元前○○年というのは、正確な数字ではありません。おおよその数字です)


創造年から1056年目にノアは誕生しました。
ノアの洪水は1656年です。

洪水の後、生き残ったハム・セム・ヤフェトの三人の息子たち。
三人の息子から続く国々を眺めてみましょう。


セムの10代目はアブラハム。イサク→ヤコブ→・・・・・→ダビデ→・・・イエスの誕生につながります。


ヤフェトの子孫は、ペルシャ→ギリシャ→ローマ→ヨーロッパの現在の国々へとつながります。政治、経済、軍事、文化の覇者となっていく国々です。白人種です。


ハムの孫にニムロデがいます。
ニムロデはエレク、アッカド、バベル、カラ、大きな4つの都市を造りました。
バベルの塔を築くリーダーはニムロデです。
ニムロデの子孫からバビロンの国が興りました。


ここで、人類の3つの神への反逆の歴史を振り返ってみましょう。

① 神に反逆したアダムとイブはエデンの園から追放された。

② 地上に人の悪と不法が満ち神は洪水によって滅ぼされた。

③ 神は洪水で再び人を滅ぼすことはしないと約束なさったが、そのことを信じないで高い塔を築いた。神は言葉を通じないようにして混乱させて、人々は全地に離散していった。

どの出来事も、神に逆らって、独立して、自分の力で、自分のしたいように行動したいという意志の表れであった。


創世記から、始まる聖書の登場人物たちの系図と年表作りが、今年のマイブーム(笑)
そうした下準備ができていたから、この本はなおのこと面白く読めたのです。


この著者によれば、中国人の始まりを以下のように書いています。
(著者の見解の中に、私の意見も紛れ込んでしまいましたが、著者の考えに反するものではないので、お許しください)

ノアから6代目のべレグの誕生した年、1757年にバベルの事件は起きた。


バベルの塔の混乱の後、東に移動した集団がいて、たどり着いた中国の地で、口伝えで、地球の始まりや、創造主及び真の神についての知識を子孫に伝えていったのはないか。

そして、その真の神を「上帝」と呼んで崇めたのだ。

彼らは、口伝えで、ノア、セムを含む人類の歴史を教えられていたのだ。

その後、象形文字、表意文字を上手に作っていき、歴史事実を蓄積していったのだ。

多分、その新しい国の王に文字を造るように命令された老賢者は、若い時にバベルの塔にいたことがあり、神に対する反逆により、突然、母国語が大混乱に陥ったときのことを目撃したことであろう。


バベルでの騒ぎは、幾日か続き、同じ言葉をしゃべり続けた家族が集まってグループを作り、それぞれのグループは、あらゆる方向に出発したのだろう。

東に向かう長く苦しい旅は続いたが、それは新天地を求めて、出来るだけ遠くへ行くためでもあった。

バベルの叛乱に、同意しかねつつ、バベルに住んでいた倫理水準の高い人々たちではなかったか。

バベルに住んでいたのならば、ハム族に属していたのかもしれないが、バベルの事件から101年前の洪水の話と、その原因を聞いていたはずである。

きっと反逆精神を持ったハム族の中にも「いいや、それは間違っている。セム族のやっていることの方が正しい」と考える人も少数であってもいたはずだ。

なぜならば、バベルの塔の事件の起きた1757年には、ノアは701歳でまだまだ健在だったからだ。
ノアは創造年2006年に950歳で死んでいるからである。


セムからはじまり、アブラハムにつながり、イエスに続く系図の中にも、モアブ人のルツ、カナン人のラハブがいるように、異邦人、異教徒の中にも、真実の神にすみやかにチャンネルを合わせることのできる人がいるのだ。


あくまでも推測であるが、として
「この機会を利用して、彼らは多神教であるバベルから脱出して、信仰のない者たちから遠ざかろうとして東に向かったのだとも考えられるのではないか」と言う意味のことを筆者は書いておられる。


地球は狭い。
毎日、時速5キロで8時間歩き続けたら、3年6か月で、地球一周4万キロを走破できるという。


我が家は、昔、子供たちが小学生、幼稚園児だったころ、長距離を「歩く」ことがブームであった。
日曜日ごとに、時速5キロのペースで5時間歩いて、バスに乗ってへとへとになって帰ってきたものだった。
休憩もなしで8キロを歩き続けることはできなかったが、時速5キロのペースは今でも体が覚えている。

最後に著者の文章を、私の考えも交えながらになるが、紹介したい。

神によってなされた罰も、幾分か励ましを含んだものであった。
アダムとイブに課せられた「あざみといばら」によって人間が勤勉に働くようになった。

洪水によって、世界の様子はがらりと変わり、様々な気候条件が存在するようになった。
また、多くの動植物を吞みこんだが、それは結果的には、石油が石炭となり、現代人の生活を潤した。

バベルの塔からの大離散は、叛乱計画を立てたものに対する祟りだと考えられる。

世界中の言葉がバラバラなって、お互いを理解して意思疎通を図ることができなくなってしまった。

しかし、逆の見方をすると、バベルからの出発は、世界全土に人間が満ち溢れることとなり、また、ある者にとっては、遠くの地で自分たちの真の信仰を妨害者から守って発展させる善きチャンスとなったであろう。

しかし、少しずつ中国に住み着いた人々は信仰の意味を忘れ、ただの儀式と化していった。
そうして、新興宗教である道教、儒教、仏教を導入したのである。


中国の地で、彼らは2000年間続けた。
そして、その漢字は21世紀の今も残って、用いられている。
日本では戦後、当用漢字、常用漢字として学校教育の場で略された漢字を教えられるようになった。
中国ほどの漢字の簡略化ではないのが、幸いではあるのだが。

しかし漢字は神様からのメッセージであり、史実を表していることを知った今では、
戦前の古い因習を断ち切るために云々の理由での、漢字のシンプル化計画は、どうであろうか。
疑問がわいてくる。

漢字を造った中国での、漢字の簡略化は、なんとももったいないことだ。
正しい漢字を捨てるということは、思想を捨て、歴史、伝統を捨て、神の心から離れてしまうことではないのか。


マラナ・タ
この本をご自分が読む前に貸してくださった友に感謝します。
本好きな私は読書を聖別しています。
神様は本を通して、時代を超え、国境を越えた人々の研究の結果を知らせてくださいます。
読書を聖別するということに対して、神様の恵みの大きさに、ただただひれ伏すばかりです。




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