ごきげんよう! さわこです。

昨夜はとにかく眠くて、お風呂に入る気力もなく8時半にはベッドにうち倒れてしまった。
台風が近づいてきているから、低気圧のせいだろうか。
一気に気温の上がったせいだろうか。

おかげで、4時前には目覚めることができた。
ベッドの上で、そのまま座禅を組んで丹田呼吸の瞑想の祈りをする。

今朝、最初にわたしの深みからあふれてきた讃美歌は、
希望の讃美歌414番「この世のいのちは」だったので、讃美歌覚書手帳に記録する。

この歌はたびたび、わたしの朝の目覚めに登場する。
母の葬儀の前夜式の時、牧師が歌ってくださったことがきっかけだった。

「キリスト教式の葬式で、牧師が捧げてくれる讃美歌は、お坊さんの読経のようなものだね」
と夫が言ったのは実に言い得て妙だった。

弟は「アンコールって思わず言いそうになってしまったよ。明日もお願いしたいくらいだ」
と前夜式が終わってから言った。

1、 この世のいのちは いつしか 絶えても
   主にある 聖徒は 御国にめざめる
      その時 我が主の 御顔を仰ぎて
      救いの恵みを 感謝し讃えよ。

2、 地にある住処は いつしか朽ちても
   主イエスの御国は われらのふるさと
      その時 我が主の 御顔を仰ぎて
      救いの恵みを 感謝し讃えよ。

3、 ともしび 灯して 主の日に備えよ
   報いを受ける日 喜びむかえよ
      その時 我が主の 御顔を仰ぎて
      救いの恵みを 感謝し讃えよ。


この讃美歌は、テサロニケ第一4章14節からである。
「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導きだしてくださいます」

このことを、クリスチャンたちは信じているのである。
参列してくださった方たちにも、イエス・キリストというお方のことが印象に残ればこんな喜ばしいことはない。


そして、聖書通読にとりかかる。
今朝は、列王記下18,19章とエフェソ2章。 
デボーション日記をノートに綴る。
そして、6時過ぎには、シャワーを浴びて身づくろいを整える。
今朝は7時半からの超教派の朝祷会。

マラナ・タ
  通読日記は、次へ 続きます。