ごきげんよう! さわこです

家庭教育、生活環境の重要性がよく言われる。
子供に問題が生じた時、一番に問われるのは家庭だ、特に両親だ。
その中でも母親に焦点があてられる。
子供が上手く行ったときには「お母ちゃんが良かったからね」
夫が社会的に良い仕事をしたり、出世すれば「奥さんの内助の功ですよ」
世の中にはこういう視線が注がれるのだから「女はつらいよ」(笑)

さて、ひどい家庭教育であったにもかかわらず、確かな育ち方をした一人の男がいる。
ユダのヒゼキヤ王だ。


彼はどのような境遇の下に子供時代を過ごしたのだろうか。
彼の父親、祖父、曽祖父が王位についていた時、どんな王であったか。
世俗化、冷淡、徹底した背教があった。
成長期にあったヒゼキヤの家庭環境は、神を恐れ、神を信じるという点からみると、決して恵まれてはいなかった。

四代目の悪王となる条件はそろっていたのである。
ところが、ヒゼキヤはそうならなかった。
彼にとって、ただ一つの恵まれた好運は、彼が王位についたとき、イザヤが友人として助言者として身近にいたのであった。

もし、ひどい家庭環境にある子供がいたとしても、一人の良き大人がその子を支えたならその子は健やかに育つのかもしれない。
その善き大人が、神の知恵と神の愛のうちに生きている人であったなら、その人を通路として神の霊は、その子供に注がれるだろう。

ヒゼキヤ王の育ち方から、そのようなことを考えてしまった。


ヒゼキヤ王がユダ国を治めていた時、アッシリア帝国にひどく痛めつけられるという難問題が降りかかっていた。

彼が、先ずしたことは「祈りの家」に行き、神と向かい合うことであった。
彼の思いの中にはいつも神があったので、真っ先にすることはいつも祈りであった。


「イスラエルの神、万軍の主よ、あなただけが地のすべての王国の神です。あなたが天と地を造られました。私たちの神、主よ、今、私たちを救ってください。そうすれば、地のすべての王国は、あなただけが主であることを知りましょう」

祈りの王ヒゼキヤと、祈りの預言者イザヤの団結した祈りが神の敵を滅ぼす力となり救いをもたらした。

ヒゼキヤの祈りと言えば、死の宣告をされた不治の病からの回復の嘆願の祈りも有名である。
祈りと涙は神に対して強力である。

バウンズはヒゼキヤの祈りを通して次の4つのことをいつも心に留めておこうという。
① 神は祈りを聞き
② 神は祈りに耳を傾け
③ 神は祈りに答え
④ 神は祈りによって私たちを救い出される

マラナ・タ
祈りを与えてくださる主よ、
祈ることを教えてくださる主よ、
主にたより、すがる思いを起こしてくださる主よ、
ありがとうございます。