ごきげんよう! さわこです

序論にはウエスレーと比較した記述が多かった。
私はバウンズを知らなかったけれど、ウエスレーは知っていた。

バウンズは、睡眠時間以外を祈りとキリストについて書き物をすることに充てていた。
(まあ、食事とかシャワーとか、必要最低限の外出など、幾分かの時間は必然的に取ることだろうが・・・これはあたりまえのことね)

彼と同時代のウエスレーは、容易に騙される人だったという。
弟のチャールズは「兄は悪者の食い物になるために生まれてきたとしか思えない」とうんざりした口調で言ったという。

(いる、いる。クリスチャンの中に、疑うことを良しとしないタイプが。どのような人をも信じることでキリストへの服従心と愛をあらわすことのできるタイプの人が。私にはとてもも出来ないことだけれど・・・)

しかし、バウンズには付け込む者は誰一人としていなかったという。彼はまれにみる診断の名人であり、仕事上のあらゆる不正行為を避けることができて、そうしたことに時間を浪費しないですんだ。
(彼は法律家・弁護士出身と言うこともあるだろうが、神はバウンズを用いるために、そうしたことに無駄な時間をとらせることから守られたのではないかと思う。一方、ウエスレーは、騙されることによって、神に慰めを与えられ養われたのではないのか。ウエスレーもまた、神の守りの内に用いられたのだと思う)

終日、ウエスレーは説教し馬に乗っていた。(今ならバイクか自転車か、自動的に運動できていたのだなあ。健康的だ)
ウエスレーは86歳で、30分の説教を路上ですることができた
(さすが!)

バウンズは、昼となく夜となく祈り、書きものをした。(運動不足になって不健康に思えるだろうが、78歳まで生きたのだからその時代としては長命だった)
バウンズは75歳で夜中の3時ごろから、ひざまずいたままで3時間祈ることができた。


ウエスレーは人々から高く評価され有名な説教者として人々に覚えられた。
彼によるその力強い説教と組織力によって、英国のキリスト教は生まれ変わった。

バウンズの信仰生活は比較的人に知られることのないままであった。
しかし、バウンズは祈りの世界の大空において、オリオン座の赤い大きな一等星、ペテルギウスのような存在である。使徒の時代以来、祈りの生涯の探求において、彼ほど深く進んだ者は一人もいない。

このようなことが序論には書かれている。
「ニューヨーク州ブルックリンにて ホーマー・W・ホッジ記す」とある。

マラナ・タ
名の知られていない信仰の巨人は多くいるのだと思う。
名もなく、貧しく、小さく、弱いクリスチャンを神様は愛されて霊の人へと育ててくださり、魂の救いのための働き人として用いてくださるのだ。
あなたも、そしてあなたも、わたしも。
救いのために働くのは、主ご自身であって、あなたでもわたしでもないのだけれど、主は一緒に働こう。
あなたと一緒に働きたいのだよと手を取ってくださるのだ。