ごきげんよう! さわこです。

O・クルマン著「クリスマスの起源」を読みました。

12月25日を異教の冬至の祭儀と結び付け、クリスマスツリーも異教の自然崇拝的風習と結び付けて、嫌悪されることもあるようだ。
そういった理由でクリスマスを祝わない教会やツリーを飾ることをしない教会もあると聞く。

この本を読んで、異教の習慣の中に隠れていたキリストなる神様の存在が浮かび上がってきたように思う。

それは日本に置いても同じようなことである。
日本の八幡宮、稲荷神社、伊勢神宮、広隆寺などが、聖書の神キリスト様を実は祀っているのだという研究や発見がなされるようになって久しい。
勿論、それを史実として受け入れる人ばかりではなく、荒唐無稽なロマン話と笑って聞き流す人々のいることも知っている。


まず、12月25日についてこの本からわかったことを書いてみよう。

ローマ帝国では、太陽を崇拝するミトラス教が普及しており、その主祭日が冬至に当たる12月25日に祝われていたので、諸民族を照らす光と呼びかけられている幼子イエスの降誕祭を、異教の自然崇拝に対抗させて、異教徒のように太陽を拝まないで、太陽を創造したお方を拝むようにと勧めることで、冬至の祭りをキリスト教化していったのである。


次にクリスマスツリーの慣習について

①モミの木のほか、様々な種類の樹木の若木や若枝で家々を飾る風習は、
イエス・キリストの象徴であり、常緑樹の不変の緑色は、永遠性の象徴でもあった。

「エッサイの株からひとつの芽が萌えいで その根からひとつの若枝が育ち その上に主の霊がとどまる・・・」(イザヤ11:1、2)
「乾いた地に埋もれた根から生え出でた若枝のように この人は主の前に育った・・・」イザヤ53:2

②クリスマスツリーそのものが「十字架」と結び付けられ、
キリストの降誕を記念すると同時にアダムの罪を贖うキリストの死を指し示していた。

③ツリーの飾りつけからキリストの降誕と楽園喪失との関連を見ることができる。
ツリーのてっぺんの星・・・東方の博士たちを導いた星
ろうそく・・・・・・・・・世の光としてのキリスト
りんご・・・・・・・・・・善悪を知る知識の実
ホスティア・・・・・・・・聖餐式のパン


最後に著者の言葉を紹介します。
残念ながら今日では、子供たちは、クリスマスの神秘をもはやそれほど強烈に体験してはいない。・・・しかし、大人たちはモミの木に単なる古来の習慣以上のものを見るべきなのであり、光に照らされたモミの木とその飾りを手掛かりとして、クリスマスの出来事のキリスト教的な深い意味に思いを馳せるべきなのである。・・・モミの木は「聖書全体を貫くメッセージ」へと私たちの目を開かせるものでなければならない。・・・モミの木を嫌悪したあの17世紀の説教者は、このことを理解できなかった。私たちの前に立っているこの象徴を通して、私たちは神の言葉へと導かれねばならないのである


マラナ・タ

12月25日のクリスマスについて、異教の風習の祭りを倣ったものであると、
何かで読んで以来、心が穏やかでなかった私です。

しかし、この本を読んで、なるほどなあ・・・とほっとしたのでした。

続く
クリスマスの起源/教文館

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