ごきげんよう さわこです

今朝は7時半からの超教派の朝祷会がありました。
自転車で20分くらいの所にある教会が会場です。
私の属する教会ではないのですが、明治時代には主人の曽祖父が長老をさせていただいていた教会です。
曽祖父、曾祖母、祖母、父の教会です。
曽祖父母のキリスト信仰は、徐々に継承する者が減っていき、父の次の代は途切れてしまったかのようです。
しかし、嫁の一人である私が、キリスト信仰を受け継ぎました。
不思議なことに、主人方の教会ではなく、セブンスデーアドベンチスト(SDA)教会です。

主人の親戚筋に当たる敬虔なクリスチャンである伯母さまが、
「どうぞ、この一族にリバイバルが起きますように」と祈り続けていたそうです。
すると、まあ、「さわこさん、あなたが起こされた!」と言って喜んでくださいました。

私の母方の従姉一族がSDAでしたので、その祈りも聞かれたのだと思います。
伯母様にとってはご自分の教会とは違っていても、何のこだわりもなかったらしくて、ただただ喜んでくださった。
伯母様のお住まいと私の住まいが徒歩1分の近隣でもあり、伯母様と二人での祈り会を7年ほど続けました。

私の10年後に両親もSDAとなり、その時にも伯母様はことのほか喜んでくださった。

両親も伯母様も、主に召されて眠りについてしまいましたが、母とあずかった安息日礼拝、
母の家で10年以上続いた家庭集会、伯母様とのふたりだけの祈り会、こうした神様との交わりの日々は、私の信仰を養ってくれました。

さて、曽祖父たちの教会の牧師先生と、祈祷会の後で立ち話をしていました。
祈祷会は苦手、人前で祈るのは苦手って方が結構いらっしゃるという話題でした。

「牧師と言っても、祈りに慣れていてスムーズにいつも祈れるってものではないのですよ」
と牧師。

「そうですねえ。なんだかわかるような気もします。」

「祈るのが苦手だから、祈祷会には参加しないという方がおられましてね、私はその方にこういったのですよ、『祈祷会に出席できたことを感謝しますとだけ祈ればよいのですよ』その方は一年間、その祈りだけを祈られました」


「私は教会員になった当初は、突然に祈りを振られて『ごめんなさい、祈れません。今度にしてください』とお断りしたことを覚えています。
あらかじめ、祈りの当番になっていた時には、準備周到よろしく、祈りを書いて読み上げていましたが、そのうちに、突然にふられても祈れるようになりました。
今でも、祈りが回ってきた時には『主よ、祈りを与えてください』と瞬時に祈って備えます。
すると祈りを神様がくださることがわかるようになりました。

いつだったか、どなたかの代理での献金の当番の時でしたが、先輩信徒さんから『あなた、祈ってね』と突然に頼まれたことがありました。礼拝が終わってからその方が『さわこさん、祈りの天使が降りてきましたね』と言われました。」


「祈りの天使、良い言葉ですねえ!」と牧師は微笑みました。

「そうなのです。毎回、祈りを与えてくださいって祈ってから祈るのですが、いつもスムーズに流れるように祈れるわけではないのです。どうしてでしょうか?」
とお訊ねすると、牧師先生はこのように話してくださいました。

「いつも祈りの天使は降りて来てそばにいるのですよ。途切れたり、沈黙が入ったり、そういう祈りの時にも祈りの天使はそばにいるのですよ。人の耳には上手に聞こえないかのような朴訥な祈りが、深くしみこんでいって忘れられない祝福の祈りとなり、深く感動したことがあります。」

「ああ、先生、わかりました。人間をひとりひとり個性をもって神様が創造してくださったように、天使も被造物ですから個性があるのですね。流れるように祈る祈りの天使ばかりでなく、素朴な朴訥な祈りを祈る天使、器用な天使、不器用な天使、いろんな個性を持った天使がいるのですね」

なんと恵まれた立ち話のひとときだったことでしょう!

義理の曽祖父母からはじまったキリスト信仰が、次に続いてに召しだされた人たちの祈りによって、後の時代の人に継承されて行く。

途切れたかのように見えても、祈っている限り心配には及ばない。

それは、祈りによって神様を支配するとかいう意味ではなくて、祈りは神様への応答としての人間の為すべき分であり、神様への応答の形。

しかも、私たちが十分に祈っていないのではないか、祈れていないのではないのか、と自信のない時にも、ローマ書にあるように「御霊みずからが、祈りにならないうめきを持って祈ってくださっている」と約束されています。

そして、何よりもイエス様ご自身が天の聖所で父なる神様の右にいまして、私たちのために執り成しの祈りを捧げてくださっている。
私たちが祈れるのは、イエス様の祈りのおかげなのです。

マラナ・タ
祈りを与えてくださる主よ、感謝と讃美をおささげします。