ごきげんよう! さわこです

○○年前、マクロビオティックにはまりました。
両親が相次いで大病になったことがきっかけ。

のしかかってくる不安のなかで「食生活改善作戦だ!」
と天からの啓示。

夫に「玄米菜食に切り替えたい」と話すと、「いいんじゃないかい」

即実行

マクロビ関係の本を読んでいるうちに「断食」にあこがれるようになりました。
ひとりで、何度か、チャレンジしたけれど、無理!無理 ! とても無理 !

食べるの大好き、作るの大好き。
しかも家族がいるのですから。

今から、10年くらい前、
友人が「座禅断食」情報を持ってきてくれました。

行く! 行く! 行く!
二つ返事で、彼女の車に、布団と着替えを積んで、
夫の許可も得て、二泊三日の座禅断食に参加となりました。

主催者は、お寺の若い僧侶

憧れの断食!
しかも、私は若い頃は、弥勒菩薩半跏思惟像さまに恋焦がれていましたから、
もちろん、座禅にも憧れていました。

二つの憧れがドッキングしていますもの。
こんなグッドな情報に飛びつかない手はありません。

かくして、クリスチャンの私が、お寺の僧侶の元に、座禅断食を学びに行ったわけなのです。


二泊三日の座禅断食を、一か月おきに、三回繰り返しました。

はじめのころは、座禅の呼吸法もわからなくて、苦労しました。
三回目を終えた頃には、ようやくそのコツもつかみました。

そして、それ以来、目覚めたらすぐに布団の上で、
座禅を組みます。
ゆっくりゆっくり、丹田呼吸。
時間は15分。


どのくらいゆっくりかというと、
吐いて吸ってで1回と数えて、70から80回数えたら、
だいたい、15分。


お坊さんには、ゆっくり数を数えることに専念するようにと教わりました。
数を数えることだけで、邪念が消えると言いますが、気持ちがさ迷い出ることがなくなるらしい。

座禅での丹田呼吸のタイミングをつかむまでは、その方法に徹しました。

コツがわかってからは、この至福の「無」ともいえる境地を神様にだけ、ひたすら思いを向ける時間としてお捧げするようになりました。

沈黙の祈り。

「イエス・キリスト」
「愛します」
「赦しを感謝します」
「イエス様の十字架、我がためなり」
「主、主、恵みあり、憐れみあり」
「主よ、主イエス・キリストよ、あなたを信じます」
「マラナ・タ」
など、短い祈りの言葉を言う時もあります。

何も言わないで、
私の体を頭から足先まで、神様の恵みが流れていること。
神様の命が流れていること。
私の細胞の一つ一つに神様が命を運んでくださっている。
それを集中して意識するという至福の時を体験します。


それから、4年後、そのさらに3年前から、
やってみたいと思っていた腹話術からお誘いがありました。

お腹から声を出すことが、難しくてとうに諦めていた腹話術。
でも「行きなさい」と神様が背中を押してくれました。

初めての「お試しレッスン」
なんとお腹から、自分の唇を動かすことなく、人形の声が出るではありませんか!

驚いたのは、私自身!

どうしてなの?3年前には、とっても難しくて、「こりゃだめだ」と諦めていたはずなのに。

毎朝の座禅を組んでの丹田呼吸15分の成果だったのですよ。

神様はお寺のお坊さんを用いてくださって、丹田呼吸を私に教えてくださった。
その快適さのゆえに、毎朝の沈黙の祈りの喜びゆえに、4年間続いたのです。

そうして7年目、神様は、腹話術に取り組めるように準備万端、整えてくださった。

①両親の病気→マクロビオティック→断食への憧れ
②少女時代 半跏思惟像・弥勒菩薩様への憧れ→座禅への憧れ
③クリスチャンになった私→祈ることを知った→祈り形の多様性を知った
④教会でパッペット人形の作り方を牧師夫人から教わった→腹話術したいなあとふと思った

私の中でのこうした物語が、今やひとつにつながったのでした。
これは、そのまま、神様が私のためにつなげてくださった物語。

マラナ・タ
神様に生かされて生きる。
私のための、神様のご計画の道筋が、○○年経つと、こんなふうに見えてくるのね。
神様、ただただ、ありがとうございます。
あなたをたたえます。