ごきげんよう! さわこです

今朝は、朝祷会の日。7時半から8時半ごろまで、超教派の祈祷会です。
テサロニケ第一5:16-19の聖書朗読のあと、メッセンジャーの牧師が祈りについてお話しくださいました。

・ 祈りは私たちの心を解きほぐすための日常生活におけるリハビリのようなもの。

・ よこしまな自分が神の前に整えられ、不信仰で至らぬ祈りであってもよしとされていく営みが祈りである。

祈りは熱心になればなるほど、沈黙になっていくのではないか。

・ 究極の祈りは「神様のみこころを聞かせてください」との一点に絞られて行き、沈黙に近づいていくのではないのか。


・ 主の祈りの最後は、主の栄光の祈りで締めくくられている。

・ 自分の思いはこうだが、それに対しての神のみこころを示されるのを求める謙虚さや限界を示される。

・ 最終的には、神の御心を尋ね求めるとは、自分自身の立ち位置を示し、整えられると言う意味である。

主の祈りは、自分を整える祈りである。

・ 祈りは神を変えはしないが、祈りは人を変える(キェルケゴール)

・ 自分自身の罪深さを解きほぐし、神の前にある自分の立ち位置と、神のみこころを聞いていく自分に立ち帰らせるものが祈りである。

・ 互いに祈り合い支え合うことが祈りにおける賜物である。

・ 祈りの友・・・祷友と呼ぶ。


マラナ・タ

祈りを与えてくださる神様、有難うございます。

♪いのりの言葉 我にも教え
主イエスのごとく ならせたまえ
主の姿に 主の姿に かえたまえ主よ 主の姿に