ごきげんよう! さわこです

友が貸してくれた本
ブレイン・スミス著 いのちのことば社 1991年発行
「神のみこころを知るために」から紹介してきましたが、3回目で終了です。



 みこころを実行する霊的力を与えてくださいと祈る。
  そのためには、日々
①    神の恵みに感謝し、
②    他の人のために祈り、
③    自分の罪を告白し、
④    御言葉を学ぶ
これらのことを、実行すべく努力し、習慣化することが、各自に委ねられた責任でもあります。


〇 真剣に神のみこころを行おうとしている人は、コンスタントに絶えず聖書を研究しています。

〇 神の言葉を黙想する人は、神のみこころを反映させた生き方をし、神から力を得ています。

〇 聖書研究の効用
①  神の理解を深める
②  神との交わりを可能にする
③  神の原則を教える
④  特定の聖書箇所が、特定の決断の確証となる場合もあり、霊感にも似た感情を味わうこともある。

〇 毎日、聖書を読むという習慣によって、聖書を私たちの思考の中心に置くようになる。

〇 神は魔術的な方法で導くことはしない。理性的な確信と論理的な考察に耐えうる導きを下さる。

〇 聖書を不適切な状況に適応するのではなく、その箇所を全体の文脈の中で受け止め、語られていることを実践するように導いていただくこと。

〇 みこころを知るためには、聖書全体をより深く理解しようとして学ぶことが最良の道。

〇 キリストのために、一番、実り豊かな方法で、自分の時間とエネルギーを用いることのできる最も明白で論理的な機会を、神に祈り求めよう。

〇 神は、通常、私たちの聖別された理性を用いてみこころを示される。

〇 超自然的な導きは、間違いなく例外的であるが、理性と矛盾した導き、論理的洞察の欠如した中での導きもある。

〇 超自然的導きを経験することは、霊的未熟さを意味するわけでも、霊的優越性を意味するわけでもない。

〇 直感はある意味で聖霊の直接的な御声であるとよく言われるが、その見解については慎重であるべきである。こうした内面的な導きを不健全なまでに強調しすぎるのはよくない。

〇 直感を用心することは、信仰の欠如ではなく、誤りを避けるための責任である。

〇 直感は「神が語ってくださった」というよりは「私の潜在意識が語っている」ことがあるのだ。直感は、しばしば心の奥深くの自分の感情か何かを伝えることもある。

(私の体験的私見であるが・・・蓄えてきた御言葉、聖書全体からの知識、礼拝説教、聖書研究、そうしたことを通して、私の記憶の底に結集してきたものを、それぞれの時に応じて、瞬時に神様が思い起こさせてくださることがある。私はそれを直感と呼んでいる)

〇 神のみこころについて知るとは、未来について予言的洞察を得ることではなく、現在の決断において、神が直接的に望んでおられることを成熟した形で把握することである。


この本を読んで、気づいたことは、情緒的に激情的に雰囲気的に神のみこころを知ろうとする種類の人にとっては、理性的、論理的、知性的に、神は導いてくださるということを軽んじてならないということだ。

自分の潜在意識に過ぎない直感を神からの示しだとか、神の御声だとか、勘違いすることのないようにとのヒント、忠告を与えてくれる本である。


マラナ・タ
私の魂の必要をご存知の神様を讃えます。
この本を貸してくれた友が、こう言いました。
「何より、ほっと安心したことは『神様が責任をとってくださる』という確信を得たことなのよ。」と。
魂の救いのために、気づかされたあれこれをしてしまう。
それが、果たしてみこころに適っているのかピント外れなのか、
不安になったりしますが、今の自分の与えられた光で、聖書を毎日読むこと、いつも神様に目を注ぐことを続けているならば、『神様が責任をとってくださる』と自信が持てるように、私も思ったのでした。