ごきげんよう! さわこです。

ブレイン・スミス著 いのちのことば社 1991年発行
「神のみこころを知るために」

〇キリストにあって、信仰者が成長するための各自に委ねられた責任とは
①神のみこころを喜んで行う姿勢をもつ
②導きのために祈る
③聖書を学ぶ
④論理的知的な決定をなしうるように自分の思いを整える

(みこころに従うっていうのは、丸投げ!だけではないのね。各自にゆだねられていることもあるのですよ! 神様に委ねること、神様から各自が委ねられていること!そのことを自覚しなくちゃね)

〇未来についての神の計画を知ろうとするのは良くない。

(これは、個人的な未来を知りたいと言う意味で、聖書に預言されていることの研究を否定しているのではない。預言の研究で、世の終わりに何が起きるか、というこを聖書から探るのは良いけれど、ご再臨の日時とか、云々を具体的に推論するのはよくない)

〇人は神のみこころに戸惑うかもしれないが、神は責任を持って導いてくださる。
(ホント、ホント、戸惑うことってあるんですよ。)

〇神は情報を与えることばかりでなく、控えることによっても導いてくださる。
(祈りに対しての神様の沈黙・・・情報を控えてくださっているのね)

〇勝利の確信をもって、罪とは一生涯闘うべきである。
(イエス様を信じさえしたら、バラ色の人生、試練、自己の思いとの戦いなど何もないわけじゃあないのよね)

〇導きにおける神の主導権を常に覚える。
(私の人生の主役は私ですが・・・私の人生の主導権を握っておられるのは神様!)

〇導きとは、神の約束。究極的には神の責任。

〇神が何をお望みになろうと喜んで受け入れる思いをもつこと

〇人の生まれながらの古い性質は常に世的な面を帯びざるを得ないものであり、利己的な月はある程度まで避けられないが、ただ、キリストが働かれる時に、利己的な動機ですら、キリストが召し出してくださった使命を遂行するために用いられて行く。
(なんという逆説の恵み!)

〇神は、私たちの失敗をも、ご自身の計画の内に組み込んでくださることのできるお方です。

〇神のみこころにを充分理性的に確信できるようになるまで祈る。



マラナ・タ

眠くなったので、「神のみこころについて」その3へ  続く