ごきげんよう! さわこです
今日は教会大掃除。10人の教会員が集まりました。
各自、あうんの呼吸で自分の仕事を見つけて自然に役割分担ができています。
私はひたすら教会中のガラス拭きと外装の汚れ落とし。
教会大掃除のたびに私はりっちゃんのことを思い出します。
何年生の時だったかしら。りっちゃんは大掃除の手伝いに来てくれたのでした。
「来てね」と頼んだわけでもなかったのに、大掃除のことを知って自分から進んできてくれたのでした。
そして私はりっちゃんと子供のクラスの部屋を二人で掃除したのでした。
今朝もその時のことを思い出しながら自転車のペダルを踏んだのでした。
りっちゃんは母ひとり子ひとりでした。
お母さんはお仕事がありますから、近所に住むおばあちゃんに見てもらっていましたが、彼女のわがままぶりに祖母は手を焼いていました。
そして1年生になった時、困ったおばあちゃんは教会に行けば問題も解決するかも・・・と期待を持ったのか、教会の子供のクラスにやって来るようになったのです。
教会でも大変でした。気に入ったものがあったら、人の物でも黙って持って帰るし、おもちゃの取り合いの大ゲンカもひんぱん。
おともだちの大切なものをはさみでじょきじょき切ってしまったこともありました。
それがなんだったか、思い出せないのですが・・・。
二年生の三学期のことでした。私の隣に座ったりっちゃんは仲良しのさっちゃんとお喋りしたりくすくす笑ったり、お礼拝の時の態度が目に余ったのでした。
礼拝のあと「祈祷会って知ってる?」と私は二人に声をかけました。
「きとうかい?ううん、知らない」
「そうでしょうね。祈祷会って大人しかしていないからね。もし、あなたたちがしたとしたら、子供で、初めての祈祷会なのよ。子供の誰もしたことのない祈祷会。初めての祈祷会よ」
と私は、少々、もったいぶって話しました。
ふたりの目が輝きました。「する!する!」
講壇横の、書庫になっている小部屋があります。
私はふたりをそこに案内しました。
そして、手をつないで子供讃美歌を歌いました。
「りっちゃん、さっちゃん、二人はイエス様って知ってる?」
「うん、知ってる」
「イエス様、好き?」
「うん、好き」
「ねえ、りっちゃん、さっちゃん、自分が話している時に、大好きな友達が知らん顔したり、お喋りしたりして聞いてくれなかったら、どんな気持ちがする?」
「いやだ」「むかつく」「悲しくなる」「腹が立つ」返ってきました。
「お礼拝ってね、イエス様が、大切なことを話してくださるの。その話を牧師先生が伝えてくださるのよ」
ふたりは、びっくりした顔をしたと思うと、目から涙がぽろっとこぼれました。
わたしも涙があふれました。
そしてふたりを抱きしめて、一緒に泣いてしまいました。
「祈祷会ってね、神様にお祈りをする会のことなのよ。イエス様、さっきはごめんなさいってお祈りしましょうか」
「イエス様、お話をしてくださっていたのに、真面目に聞いていなくてごめんなさい」
「ごめんなさいって祈ったら、イエス様は赦してくださるお方なのよ。よかったわね。
さあ、イエス様に謝ったら、もうそれで、いいのかな?それでおしまいなのかな?」
「ううん、違う。牧師先生にも、あやまらなくちゃいけないと思う」
「そうね、それも大事なことね。よく気が付いたわね」
「でも、牧師先生にあやまるの・・・難しい」
そうなのですよね。
目に見えない神様にごめんなさいを言えても、目に見える人間に謝るのって、難しいことなのですよ。子どもに限らずね。
「わたしも、一緒に謝りに行ってあげるわ」
ふたりは、ほっとした顔になりました。
食事中の牧師の傍に行って「先生、二人がお話したいことがあるそうですよ」
「先生、お礼拝の時におしゃべりしたり笑ったりしていてごめんなさい」
牧師先生も、びっくりしながら、にっこりと笑って「これから気を付けようね」と言ってくださいました。
そして三人でお昼ごはんを食べたのでした。
それからというもの、安息日に教会に来ると、二人は
「さわこ先生、今日も祈祷会しようよ」と言ってくるようになったのです。
お礼拝が終わると書庫のある小部屋に一目散。
ふたりは、友達関係の悩みや、おばあちゃんに叱られて悲しかったことやら、学校の出来事やら、お父さんが煙草を吸っているので、死んだらどうしようと心配していることなども、競って話してくれます。
そして彼女たちの悩みをイエス様に祈ります。
声を合わせてアーメンと言って、子供讃美歌を歌います。
日曜日にはパスファインダークラブの行事があってやってきたときにも
「さわこ先生、祈祷会しようよ」
すっかり、祈祷会が好きになってしまいました。
やがて、そのほかの子供たちにも、祈祷会ブームが広がって行きました。
りっちゃんの問題行動もいつのまにかなくなっていったのでした。
「さわこさん、○○さんと△△さん、知っていますか?日曜日にやってきたんですよ。」
今朝、教会に着くなり牧師夫人が話してくれました。
「まあ、なつかしい!○○りっちゃんと△△さっちゃんでしょ。中学生になってからは来なくなったのよ。お引越ししてお家も遠くなったし、もう高校三年生になったよね」
私たちの教会は牧師の異動がありますから、二代前の牧師の時代に来ていた子供たちなのです。
「教会の中をあちこち見ては『変わっていない!懐かしいにおいがする!』って喜んでいましたよ」と牧師夫人。
小学校を卒業するまで、6年間、来ていた二人の少女。
ふたりは違う学校に行きましたが、今も仲良しだったこともうれしかったし、教会のことも私たちのことも覚えていてくれたのもうれしかった。
「あなたの若い時に造り主を覚えよ」と神様はおっしゃいます。
牧師が写してくれた写真を見せてもらいました。
変わっていない!小学生時代の面影がそのままです。
街ですれちがっても、きっと「あら!りっちゃん、さっちゃん」と声がかけられそうなくらいに変わっていない!
教会に子供祈祷会ブームのきっかけを作ってくれた二人の少女。
今も、折に触れ、思い出す大切なふたりです。
マラナ・タ
子供たちをわたしのところに来させなさい、とイエス様はおっしゃいました。
二人の少女が、イエス様のことを今も忘れないで、教会に遊びに来てくれたことがうれしいです。
一緒に祈祷会にあずかった日々が今も私の中で感動を持って迫ってきます。
今日は教会大掃除。10人の教会員が集まりました。
各自、あうんの呼吸で自分の仕事を見つけて自然に役割分担ができています。
私はひたすら教会中のガラス拭きと外装の汚れ落とし。
教会大掃除のたびに私はりっちゃんのことを思い出します。
何年生の時だったかしら。りっちゃんは大掃除の手伝いに来てくれたのでした。
「来てね」と頼んだわけでもなかったのに、大掃除のことを知って自分から進んできてくれたのでした。
そして私はりっちゃんと子供のクラスの部屋を二人で掃除したのでした。
今朝もその時のことを思い出しながら自転車のペダルを踏んだのでした。
りっちゃんは母ひとり子ひとりでした。
お母さんはお仕事がありますから、近所に住むおばあちゃんに見てもらっていましたが、彼女のわがままぶりに祖母は手を焼いていました。
そして1年生になった時、困ったおばあちゃんは教会に行けば問題も解決するかも・・・と期待を持ったのか、教会の子供のクラスにやって来るようになったのです。
教会でも大変でした。気に入ったものがあったら、人の物でも黙って持って帰るし、おもちゃの取り合いの大ゲンカもひんぱん。
おともだちの大切なものをはさみでじょきじょき切ってしまったこともありました。
それがなんだったか、思い出せないのですが・・・。
二年生の三学期のことでした。私の隣に座ったりっちゃんは仲良しのさっちゃんとお喋りしたりくすくす笑ったり、お礼拝の時の態度が目に余ったのでした。
礼拝のあと「祈祷会って知ってる?」と私は二人に声をかけました。
「きとうかい?ううん、知らない」
「そうでしょうね。祈祷会って大人しかしていないからね。もし、あなたたちがしたとしたら、子供で、初めての祈祷会なのよ。子供の誰もしたことのない祈祷会。初めての祈祷会よ」
と私は、少々、もったいぶって話しました。
ふたりの目が輝きました。「する!する!」
講壇横の、書庫になっている小部屋があります。
私はふたりをそこに案内しました。
そして、手をつないで子供讃美歌を歌いました。
「りっちゃん、さっちゃん、二人はイエス様って知ってる?」
「うん、知ってる」
「イエス様、好き?」
「うん、好き」
「ねえ、りっちゃん、さっちゃん、自分が話している時に、大好きな友達が知らん顔したり、お喋りしたりして聞いてくれなかったら、どんな気持ちがする?」
「いやだ」「むかつく」「悲しくなる」「腹が立つ」返ってきました。
「お礼拝ってね、イエス様が、大切なことを話してくださるの。その話を牧師先生が伝えてくださるのよ」
ふたりは、びっくりした顔をしたと思うと、目から涙がぽろっとこぼれました。
わたしも涙があふれました。
そしてふたりを抱きしめて、一緒に泣いてしまいました。
「祈祷会ってね、神様にお祈りをする会のことなのよ。イエス様、さっきはごめんなさいってお祈りしましょうか」
「イエス様、お話をしてくださっていたのに、真面目に聞いていなくてごめんなさい」
「ごめんなさいって祈ったら、イエス様は赦してくださるお方なのよ。よかったわね。
さあ、イエス様に謝ったら、もうそれで、いいのかな?それでおしまいなのかな?」
「ううん、違う。牧師先生にも、あやまらなくちゃいけないと思う」
「そうね、それも大事なことね。よく気が付いたわね」
「でも、牧師先生にあやまるの・・・難しい」
そうなのですよね。
目に見えない神様にごめんなさいを言えても、目に見える人間に謝るのって、難しいことなのですよ。子どもに限らずね。
「わたしも、一緒に謝りに行ってあげるわ」
ふたりは、ほっとした顔になりました。
食事中の牧師の傍に行って「先生、二人がお話したいことがあるそうですよ」
「先生、お礼拝の時におしゃべりしたり笑ったりしていてごめんなさい」
牧師先生も、びっくりしながら、にっこりと笑って「これから気を付けようね」と言ってくださいました。
そして三人でお昼ごはんを食べたのでした。
それからというもの、安息日に教会に来ると、二人は
「さわこ先生、今日も祈祷会しようよ」と言ってくるようになったのです。
お礼拝が終わると書庫のある小部屋に一目散。
ふたりは、友達関係の悩みや、おばあちゃんに叱られて悲しかったことやら、学校の出来事やら、お父さんが煙草を吸っているので、死んだらどうしようと心配していることなども、競って話してくれます。
そして彼女たちの悩みをイエス様に祈ります。
声を合わせてアーメンと言って、子供讃美歌を歌います。
日曜日にはパスファインダークラブの行事があってやってきたときにも
「さわこ先生、祈祷会しようよ」
すっかり、祈祷会が好きになってしまいました。
やがて、そのほかの子供たちにも、祈祷会ブームが広がって行きました。
りっちゃんの問題行動もいつのまにかなくなっていったのでした。
「さわこさん、○○さんと△△さん、知っていますか?日曜日にやってきたんですよ。」
今朝、教会に着くなり牧師夫人が話してくれました。
「まあ、なつかしい!○○りっちゃんと△△さっちゃんでしょ。中学生になってからは来なくなったのよ。お引越ししてお家も遠くなったし、もう高校三年生になったよね」
私たちの教会は牧師の異動がありますから、二代前の牧師の時代に来ていた子供たちなのです。
「教会の中をあちこち見ては『変わっていない!懐かしいにおいがする!』って喜んでいましたよ」と牧師夫人。
小学校を卒業するまで、6年間、来ていた二人の少女。
ふたりは違う学校に行きましたが、今も仲良しだったこともうれしかったし、教会のことも私たちのことも覚えていてくれたのもうれしかった。
「あなたの若い時に造り主を覚えよ」と神様はおっしゃいます。
牧師が写してくれた写真を見せてもらいました。
変わっていない!小学生時代の面影がそのままです。
街ですれちがっても、きっと「あら!りっちゃん、さっちゃん」と声がかけられそうなくらいに変わっていない!
教会に子供祈祷会ブームのきっかけを作ってくれた二人の少女。
今も、折に触れ、思い出す大切なふたりです。
マラナ・タ
子供たちをわたしのところに来させなさい、とイエス様はおっしゃいました。
二人の少女が、イエス様のことを今も忘れないで、教会に遊びに来てくれたことがうれしいです。
一緒に祈祷会にあずかった日々が今も私の中で感動を持って迫ってきます。