ごきげんよう! さわこです

立ち上がる選択STAND  大藪順子(おおやぶのぶこ)著
2007年11月1日発行 発行されてすぐに購入して読んだ本だ。
二週間ほど前、牧師の礼拝説教の中で、この本のことが取り上げられていた。
「この本、持っているわ。読み返すようにと、主が私に言っておられる」と思って、すぐに読み返し始めた。
この2週間、おじゃるさんの病気、仕事の多忙さ、と重なっていつものようなスピードでは読めなかったけれど、ようやく読み終えた。

本には新聞に紹介されていた記事も切り抜いてはさんであった。
7年前に読んだときに、線を引いた箇所もある。
読み返して、新たに線を引いたところもある。

そこを書き写しておこう。
① 自分の愛する人が亡くなった時は誰だって泣くと思うわ。でもしばらく泣いたら立ち上がって、前進するしかない。それと同じだと思うの。ノブコがレイプによって失った物に対して嘆くのは当然。でも時が来たらその悲しみが新たな力となるはず。嘆き悲しむ事も次のステップのためには必要なプロセスなのよ。

② 私は恐怖からの解放と共に、天使が私の家の周りを囲んで守ってくれるようにしばらく祈った。すると不思議なほど心が落ち着いてくるのがわかった。天使の用心棒を神は送ってくださったと確信した瞬間だった。

③ 正直、苦しみ損はしたくない。聖書がいうように苦しみや悲しみにも意味があり、それは私だけの利益のためでなく、他の人のためでもあるということを信じて通り抜けていけば、苦しみ損をするはずはない。自分にはもう為す術がなく、状況がどんどん悪くなるようにしか見えなくなっても、踏ん張って神を待てばいい。でもそんな強い信仰は、とても今の私にはないような気がした。

④ ここまで来たら、裁判長の判断次第だ。・・・何よりも神の手にゆだねるしかない。良い裁判長が与えられるように、またどんな結果が出ても私が神を信じ続けることができるように祈らずにはいられなかった。

⑤ 「神は、私の行く道を知っておられる。神は私を調べられる。私は金のように、出てくる」ヨブ記23:10 レイプの被害に遭うという試練によって私の信仰、私自身が試みられているのだろう。でもそれは私の人としての価値を下げるためではなく、逆に上げられるために違いない。いつか私もサバイバーとして、世界でたった一人のオオヤブノブコとして、金となって堂々と歩ける時が来るはずだ。

⑥ 一方、ディビットのように他人の家に勝手に入り、人を傷つける事が平気でできる人もいる。やはり育った環境が彼をそうさせたのだろうか。いや、どんなに悪いと言われる環境で育ったとしても善悪のつく人は五万といる。自分の親や育った環境、差別や過去の不幸などを言い訳にして他人を傷つけるという行為も、人によっては選ぶ道なのだ。私も今まで間違った選択をたくさんしてきた。気が付かないで人を傷つけてきたかもしれない。それは環境がどうのという問題ではない。それが意識的でも無意識でも私自身の選択ミスなのだ。

⑦ 一番大切なのは、自分の経験が何であれ、それによって新しい歩みが始まるということではないだろうか。それは悲しみのためではなく、喜びのためなのだ。

⑧ 神がいたらこんな事が自分に起こらないと思う人がいても当然だ。でも、どうしてこんな事が自分に起こるのかというところで足踏みするのではなく、起こった事に意味を見出すことができたら、力強く前進できるのではないだろうか。そしてある日ふと振り返った時、その場その場で神がいたことが初めてわかるのかもしれない。

⑨ いやレイプ事件を皮切りに、新しい門がどんどん開いている。そしてレイプという試練の中で、それまで自分が必死に築き上げ、しがみついていた世界がクラッシュしたからこそ、開いた門を迷いなく通れたのかもしれない。・・・もしそんな状況を強いられていなければ、せっかく開いている門も、自分の不安によって通り抜けないでいたかもしれない。

⑩ もともと神の導きで建てられた教会も、牧師や運営する信徒たちによって本来の意味を失い、来る人達の信仰が育たなかったり、癒しとは逆に魂が傷つく場所と化する場合もあるだろう。・・・教会がどん底にいる人々に希望を与えないばかりか、失望させている場所であるのを見た時、私は正直ショックだった。教会で育っても離れていく人が多いのもわかる気がする。(やがて著者は、ここぞ!という教会に巡り合う)

⑪ (その教会の牧師の言葉)・・・今僕がはっきり言えることは、その経験によってピティフル(哀れ)になるか、パワフル(強く)になるかは君次第だっていうことなんだ。さっきも言ったけど、どんなにつらい経験にも神様の大きな計画がともなっている。神様は君をいじめているわけではなく、君を選ばれたんだよ。・・・過去の経験によって、ビター(bitter憎しみ深く)になりがちだけれど、ベター(betterより良く)になることだってチョイスの一つなんだ。レイプという経験があるからといって必ずしもその人の終わりが不幸なわけではない。君にもいつか必ず一緒に歩む素晴らしいパートナーが与えられて幸せになる時が来るよ。神様はね、悲しみのあとはその何倍もの祝福を与えてくださる方なんだ。(やがて、その教会の副牧師である青年と結婚する。現在は夫と娘と共にアメリカ・ネブラスカ州に在住)

⑫ (礼拝説教より)今夜のメッセージは伝道者の書3章から、すべてのわざには時があるという話だ。どんな状況にいても、それは神が私たちに与えた季節で、その時のいい事にも悪い事にもしっかりと向き合う必要があること。そしてどんな時にも楽しむことを忘れてはいけないと話していた。問題があるからこそ神が必要だということに気づかされ、そうやって人が成長していくのだと。だから困難な状況に陥っても、決して神は私たちにいじわるをしているのではなく、逆にそれ以降の祝福を受ける時にきちんと対応できる人となるために、訓練してくださっている。・・・難しい状況に陥るのは、それまでの状況からステップアップする予告であると。

⑬ この中にもレイプの被害者はたくさんいるが、いつまでも泣いているだけじゃなくて、そのエネルギーを何か違う形で使うことだってできるんだ。自分の苦しみは苦しみとしてだけでは終わらない。神様は個人の成長のためだけではなく、他人のためにも私たちに苦しみを与えられる。ノブコは写真を通して他のサバイバー達に手を差し伸べようとしているんだ。


著者の大藪順子さんは、レイプ被害から立ち上がり、全米で性暴力被害者の写真プロジェクトを展開した日本人フォトジャーナリストである。
1971年大阪府の牧師家庭に生まれる。1995年アメリカ、シカゴのコロンビア・カレッジ、フォトジャーナリズム専攻を卒業後、新聞社のフォトグラファーとして7年働き、2002年にフリーに。
1999年、自宅で就寝中に鍵をこじ開けられレイプの被害に遭い、うつ状態が1年半続く。

私がキリスト信仰を持つに至った一番の動機が「苦難・試練」の意味を知りたかったからだ。
この本の帯には「思いもよらぬ事件が、思いもよらぬ出発になる」とある。


マラナ・タ
7年前に読んだ本を神様は読み返すように示してくださいました。
苦難・試練の意味をいつも忘れてはならないのです。
♪御手の中で すべては変わる讃美に 
 わが行く道を 導き給え あなたの御手の中で
♪御手の中で すべては変わる感謝に
 感謝をささげ 讃美を歌う あなたの御手の中で 

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