「沈黙」について書いたときに、合わせて紹介した本です。

私はあまりテレビは見ません。
私にはテレビのチャンネル権がありませんでした。
楽しみに見ていても、夫が突然チャンネルを変える、そういうことが頻繁だったので、その都度、口論したりいらいらしたりするストレスが嫌で、テレビなんてどうでもいいや・・・と無関心になっていきました。

そんな中で、唯一、見るのが、NHKの大河ドラマと朝の連続ドラマ。
どちらも夫も見るからトラブらないという理由からですが。
歴史物が好きということと、朝のドラマは人生の真実を突いているって言うか、「この言葉いい!」という台詞に出会えるからです。

さて、黒田官兵衛も楽しみにしていました。
官兵衛がキリシタンだったということとともに、官兵衛を演じた役者さんの演技が昔から好きだったということもあります。
ところが名前を思い出せない。とほほ。

さて、キリスト教書店で雑賀信行著「キリシタン黒田官兵衛 上下」を見つけました。

帯には、小和田哲男静岡大学名誉教授推薦とあって、「キリシタンとしての官兵衛についてこれだけ詳細な本は初めてである」とありますが、実に詳細です。
多くの作家が官兵衛を取り扱った小説を書いていますが、キリシタンであったことについて、すぐに棄教したなどと、あまりにもそっけない描きかたです。

小和田教授の推薦文を紹介しますと・・・
上巻の帯には、
「黒田官兵衛がキリシタンだったことが隠蔽され、すぐに棄教したという風説を信じ込まされてきたのは、日本人のキリスト教音痴のゆえだった。
司馬遼太郎、火坂雅志、上田秀人、童門冬二、加来耕三、吉川英治、松本清張、観音寺潮五郎など官兵衛を描いた小説や評伝を取り上げ、その誤解や問題を再検討している」


下巻の帯には
「なぜ、官兵衛がキリスト教に入信したのか、いつ入信したのかを、当時のイエズス会関係資料を駆使して究明するとともに、キリシタンとしてどのようにいきたのかについても論究されている。また、随所に、フランシスコ・ザビエルが我が国にキリスト教を伝えてからの伝道の歴史が盛り込まれている。キリシタン大名が生まれる背景についても目配りされていて、読みごたえがある」
とあり、およそ、主な参考文献は100種類近くに及ぶ力作の評伝です。

キリスト教に関心のある人や、聖書を読んでいる人にとっては、きっと、各ページの参考文献からの引用、聖書からの引用に興味をそそるにちがいない。


官兵衛の頃の日本の総人口は1200万人ほどで、キリシタンの人口は70万人を超えていたというから、単純計算すれば人口の6%がキリシタンであった。

現在はカトリック、プロテスタント合わせて1%にも満たない。

しかも信者の高齢化が進んでいる。
どれだけ戦国時代のキリスト教に勢いがあったことか。
秀吉やその側近が「バテレン追放令」を出さざるを得ないほど、教会に脅威を感じていたかということにも頷ける。

当時はまだ聖書も翻訳されておらず、一般庶民の学力も低かったから、信仰理解はいまよりもずいぶん浅かったと考えられがちの上に、またキリシタン大名も貿易目的でいい加減な信者だったと多くの小説は描く。

だから6%の信者といってもたいしたことはなかったのだろうと考える人も多いのだろうが、当時のキリスト教事情を詳細に丹念に知らべて行くうちに、むしろ、この頃の方が、殉教を覚悟した初代教会のクリスチャンに近いような気がしてきたと筆者は書いている。

フロイスの「日本史」やイエズス会の宣教師の資料には、官兵衛の多くの活躍が記されている。

キリスト教は、厳格な一神信仰だけに「正しさ」という権力に結びつくと始末が悪い。
欧米人の独善的な世界宣教によって、各国の文化が軽視されて、さまざまな軋轢を生むことになった。

従来の官兵衛を描いた小説や評伝では、官兵衛の肝心なキリスト教信仰の扱い方についてはあまりにも問題が多すぎたようだ。

高山右近とはまた違った形で、官兵衛は秀吉からの圧力に屈することなくキリスト信仰を守り通したのだ。
粘り強さ、忍耐する力、知力を尽くすこと、終末の時代にあって、やがて来る迫害の時に備えて官兵衛から学ぶことが多くあると思った。