ごきげんよう! さわこです

「日本人はなぜいつも申し訳ないと思うのか」の162、163ページも紹介しておきたい。

ベネディクトは「・・・良心の啓発を頼みにする社会を『罪の文化』と定義し、悪い行いが人の目に露見しない限り、思い煩うことのない社会を『恥の文化』と定義した。
そして、日本文化を罪の意識を持たない非道徳的な『恥の文化』と論じたが、

日本は先進諸国中で、最も犯罪が少なく治安が良い国として世界的に有名である故に『罪の意識を持たない非道徳的な恥の文化』とする論調は、今日、海外では見当たらない」


こういう記述を読むとほっとする。
しかし、日本人たちが、ベネディクトの論調に洗脳されたままで、自己卑下、自虐性から解放されなくてはね・・・

また、
ヨーゼフ・クライナー編「ケンベルの見たトクガワ・ジャパン」35ページより引用 

「1549年、初めてイエズス会神父として、鹿児島に渡り、後に山口や京都でも布教を行ったフランシスコ・ザビエルはヨーロッパ人への手紙の中で、
『この世の中に本当にすぐれた道徳を持っている民族があるとするならば、それはまさに日本民族である』と書き、また『日本人は嘘を徹底的に嫌う。それほど、嘘を嫌う民族に会ったことがない』と評価している。
才能についても『日本の生徒たちは、ラテン語をヨーロッパ人よりも早く完璧に覚える』とさえ言っている。



何とうれしいザビエルの報告ではないか。
以前読んだ本には(その書名を思い出せないのだが、そういう関連書をあまりにも多く読んだものだから)
ザビエルは、日本人にキリスト教を説いたとき「日本にはルター派のような人々がいる」と驚いて、故国に報告したとの記述があった。
浄土宗、浄土真宗の教義が『信仰による救い』に極めて類似していたからだろう。
また真言宗には、儀式の前には十字を切る所作がある。

日本の仏教は、日本に入ってきた時点でキリスト教の影響をすでに受けているのである。
仏教伝来は538年、6世紀。
ザビエルによるローマカトリックの伝来は1549年。
そして近年の研究では、2世紀か3世紀には、すでに原始キリスト教が伝来していたと言われているのだ。

日本は、道徳的に敏感で、すぐれた道徳を持ち、嘘を嫌う、しっかりした罪の文化を持つ国であるが、その理由がわかるではないか。

十戒に基づいた教育が、古代日本の建国以来、連綿と続いているからであると考えることができないだろうか。

私の母方の祖父は、毎日、論語を読む人だった。
祖父の生き方は、地の塩、世の光のごとくであり、地域住民のために尽くした。
母方の祖母は慈愛に富んだ人だった。
浄土真宗の檀家であった。
親せき筋にあたるクリスチャンの人々が、「ここの家族は、私たち以上にクリスチャンだ」との言葉を贈ってくれたのである。


イエス様の大宣教命令は、既に古代日本に伝わっていて、日本人をはぐくんでいたのだと、私は思う。
だから、ザビエルが宣教に来た時には、「リバイバル」が起きたに過ぎなかったのではないか。
ヨーロッパ諸国の植民地主義政策と重なってしまったがために、迫害の悲劇となったのではないだろうか。

マラナ・タ
全人類を、生きとし生けるものを慈しんでくださる神様。
全ての人々が、あなたに立ち帰り、悔い改めますように。