ごきげんよう! さわこです。

今朝は、乳がん手術後の三か月ごとの検診日。
2011年1月13日が手術でした。
異常なしということで安心です。
三年前の11月、12月はがんを告知されて、手術前の検査でおおわらわでした。

告知されたとき、私はたじろぐことなく、いいえ、感動さえしたのでした。
このことを通して、神様はどういう御心をお示しくださるのだろうか、と期待感があふれたのでした。

主がお許しくださって、できたがん細胞をいとおしくさえ感じてしまいました。

生きるのも、死ぬのも、神様にお任せする、という自分の予想をはるかに超えた思いに包まれたのでした。
これが、イエス・キリストを信仰するということなのか・・・と思いました。


さて、手術後、神様ははっきりした形で私に臨んでくださいました。
全身麻酔は、あっという間に効き瞬時に目覚めたのでした。
実際は3時間近くの時間が経過していたのですが、私にとっては一瞬でした。

ぱっちりと見開いた目に、執刀医の顔が写りました。
「手術は無事に終わりましたよ」

死は「眠り」であると聖書に書かれてありますが、地上人生の死の直後はご再臨の朝です。
そして、死から目覚めた時には、お迎えにきてくださったイエス様の御顔を拝して、天国に上っていくのです。
イエス様を信じる者にとっては、「死は一瞬の眠り」であることを、先取りして体験させていただいたのでした。

そのあと、讃美歌が聞こえてきました。
手術室で流れていた讃美歌というわけではありません。
聖歌のなかにある「主の愛の汝がうちに」の繰り返しの部分でした。

♪もちいたまえ、我が主よ
もちいたまえ、我をも、
み恵みを、取り次ぐに、
通りよき 管として♪

そのときには、頭がぼんやりしていましたから、「主の愛のながうちに」とは気づきませんでした。この部分の歌が繰り返し繰り返し聞こえてきたのでした。

神様からの私への
「あなたに、命を与えたのは、恵みを取り次ぐ器として、あなたを用いるためなんだよ」との、祝祷のように思いました。


翌々日、お見舞いに来てくれた牧師夫人に、この歌が聞こえてきたことを話して
「なんという讃美歌だったの?」とたずねましたら、はじまりのところを歌ってくれました。
それで、ようやく「主の愛のながうちに」だったと気づいた次第でした。

神様が、私が乳がんに罹患することを、お許しになったわけが分かったように思いました。

私のキリスト信仰を強め、私の信仰者としての目的をはっきりさせてくださるためではなかったのか。
だとすれば、なんという素晴らしいプレゼントを頂いたことだろう。
告知されたとき、私に恐れは全くなく、喜びに誓い感動が湧き上がった理由がわかりました。


そんな私を見て家族は
「なんでさわこはここまで落ち着いているのか」
「喜びでハイになっているのは、いったい何なんだ」
「家族の不安や恐れに対しての気遣いがない」
一年ほど経ってそんな不満を聞かされました。

そうなのか・・・
そうだったのか、妻の命、母の命は、家族にとって重いものであることを考えていなかったのでした。
家族への配慮が足りなかった自分の罪なる姿を知ったのでした。

「大丈夫よ、私が死んでも、日はまた昇るし、月も輝く。残された者たちも、神様が養ってくださる。私を取り去ることを通して、もっともっと素晴らしいものを神様はお与えくださる。何を心配することがあろうか」と思っていたのでした。


マラナ・タ
明日の命のないことを思って、今日の日も生きることができますように。
メメントモリ、メメントモリ(死ぬことを覚えて生きよ)