ごきげんよう!さわこです

私が着物生活を始めたのはちょうど八年前。
八年前の10月に入って間もなくの頃でした。
「あなたには愛がない。十戒5条に反している」と神様の声が私の心を刺したのでした。
普通は聖書を読んでいる時に、み言葉から示されるのですが、その日は、直接、私の心に神様が語り掛けたのでした。

「主よ、私は自分の愛の足りなさを自覚しています。今さら、あなたさまに示されるまでもなく。
しかし、私は十戒の5条を破っているとの自覚はありません。
昔、若い頃は心の中で母に反発していました。
しかもそれを母に悟られることのないようにごまかしていました。
そのことについては反省をしています。
母から『あなたには反抗期がなかったわね』と言わしめるほど、巧妙に母を欺いていました。
しかし、両親が病を得てからは、母の父への献身ぶりに、また、試練によって母の品性が変えられていく様を見て、神様のなさるわざに驚きと感謝で母への敬愛の念に満ちてきたのです。
いったいどうして、私が十戒5条『あなたの父と母を敬え』に反しているというのでしょうか」

と神様に申し上げました。

すると、神様は心当たりがあるはずだと言われて気づかしてくださったのです。
母はとてもおしゃれな人でした。
いつもセンスの良いファッションを身にまとい、父が身障者になってからは、父にもいっそうきちんとした洋服を着せていました。
私は、母のそうした着道楽といいますか、そんなところを素敵と思う気持ちと、恥ずかしく思う気持ちとが入り乱れていたのです。

そして、私の結婚に際しても「着物」を何着か用意してくれていました。
私はほとんどその着物に手を通すこともないまま、タンスの肥やしになっていたのでした。

「なんという無駄遣い。私なら着物にこれほどお金はかけない。もっと生きたお金の使い方をする!神様への献金。社会奉仕団体への寄付・・・」
タンスに仕舞われたままの着物を邪魔だと思っていたのです。


ある人は、着物を断捨離していました。バザーに出したり、古着屋さんに売ったり、あるいは町内の不燃物に出したり・・・私はそのような勇気はありませんでした。
しかし、着物を見るたびに母への軽蔑の念がわいていたのです

それだ!そのことだ!
神様は私の心の底の母を蔑む思いをご存知だったのです。


そして、私のとった行動は、着物着付け教室に通うことでした。
ちょうど10月から翌年の3月までの、着付け教室の募集が始まっていました。
さっそく申し込みました。

母に作ってもらった江戸小紋の着物を持って教室に通いました。
先生からは「まあ、派手ねえ。せいぜい30代までよ、この小紋は」
江戸小紋にしては、小紋の柄が少々大きい扇の柄。色も赤い。
鏡に映る自分の姿に先生のおっしゃる通りだと思いました。
20代の時、一度手を通したきり。
その時にはとても似合っていたのに・・・

結局、母が私に持たしてくれた着物はどれもこれも派手になってしまっていたのです。
母は20代、30代に向けての着物を用意していたのです。
40代以降は、自分の着物を娘に譲ればよいと考えていました。
母の娘時代は戦中戦後、物のない頃でしたから、おしゃれを楽しむことなく娘時代を過ごしていたのです。
ですから、経験できなかった青春時代を娘の着物選びを通して追体験しようとしていたのだろうな・・・と思えるようになりました。


私は半年、着付け教室に通って着物を自分で着られるようになりました。
その年は、毎日、着物生活をしました。
そうでもしなければ、とても着物が身につかないと思ったからです。

結局、私の着た着物は母や伯母のおさがりでした。
私の着物は体型の近い若い人にお譲りしました。
母は紬が好きでしたから、日常着、ちょっとした外出着、安息日のお礼拝着として不自然ではありませんでしたから、とても重宝しています。

自転車での外出時以外は着物を着るように心がけています。

そのことで、先日、ちょっと???という経験をしたのでした。
それは、私がかつて母に投げかけていた「蔑みの視線」です。
私はその視線を受けたのでした。


私にとって、着物を着ることは神様への「悔い改めの応答」に他なりませんでした。
しかし、そのことは神様と私との関係の中での出来事であって、第三者にはうかがい知ることのできないことです。


蔑みの目で見られるということも、自業自得であったのかもしれません。
播いた種の刈り取りだったのかもしれません。

ペテロ第一の手紙3:3
「あなたがたの装いは、編んだ髪や金の飾り、あるいは派手な衣服といった外面的なものであってはなりません。」

この御言葉に過剰に反応する信心の持ち主もいるのです。

信仰をもってまもなくの頃のこと。
梅雨の時期でした。レインコートを着て自転車で教会に行きました。
コートを脱いだ時、蒸し暑さで首筋には汗の玉ができていました。
安息日学校のソングサービスの当番に当たっていましたから、皆さんの前に立って讃美歌をリードして歌っていました。

その後、牧師夫人が笑いながら話してくれました。
小学一年生のお嬢さんが
「さわこさん、真珠の首飾りをつけているけれど、そんな高価なものを飾ってもいいの?」
とお母さんに尋ねたそうです。

「あらら、よくみてごらん。汗が光っているのよ。さわこさん、合羽を着て自転車に乗ってきたから、暑かったのね」

小学一年生の女の子は、高価な装飾品を身に着けることは不信仰だと思い込んでいたわけです。どこかで、誰かから、そのような教えを学んだのでしょうね。
ペテロ第一3:3を
そのように解釈することもあり得るわけです。

しかし、続く4節を読んでみましょう。
「むしろそれは、柔和でしとやかな気立てという朽ちないもので飾られた、内面的な人柄であるべきです。このような装いこそ、神の御前でまことに価値があるのです。」

神様はどのような外見であるか、何を着るか着ないかを具体的に指図しておられるわけではないのです。
内面的な柔和でしとやかでな気立てという人柄を求めておられるのです。

金の飾りをつけてさえいなければ、髪を編んでさえいなければ、神様に喜ばれるのではないことがお判りでしょう。
金の飾りをつけないことを誇り、ぼさぼさの頭でいることが深い信仰者の証拠だというわけでもないのです。

どのような格好をするかは、各自に任されている事柄であって、人がとやかく言うものではないのです。
時と場所にふさわしくない装いは失礼でもありましょう。
おしゃれの過ぎるのも好ましくないし、構わなさすぎるというのも問題でしょう。
できることなら、清潔なこざっぱりした装いでありさえすれば十分です。

礼拝に出席するときには、イエス様にお会いするのですから、お気に入りのファッションで身を装いたいですよね。

かつて、私は汗の玉の真珠の首飾りを身につけましたが、本物の真珠をつけたって一向に構わないと思っています。

母の形見の真珠の首飾りも、冠婚葬祭のときだけでなく、似合う洋服のときには身につけてお礼拝に行きたいと思っています。

マラナ・タ
主よ、柔和でしとやかな気立てを求めます。
どうか、私に与えてください。
朽ちない内面の飾りで私を装ってください。