ごきげんよう! さわこです

9月のさわやかな空気の中、自転車に乗って、曽祖父母の属していた教会に行く。
そこの教会員さんが、朝祷会のお世話をしてくださっているのだ。

今朝はコリント第一16章21-24節からメッセージが語られた。
メッセンジャーは若い女性牧師。

「わたしパウロが、自分の手で挨拶を記します。マラナ・タ(主よ、来てください)主イエスの恵みが、あなたがたと共にあるように。わたしの愛が、キリスト・イエスにおいてあなたがた一同と共にあるように」


T姉妹が聖書朗読をなさった。
この方の朗読はゆったりとして、彼女の信仰がこもっていて美しい響きだ。
朗読の勉強をなさった経験をお持ちだろうか・・・

マラナ・タとはアラム語である。イエス様の時代の言葉であり、ヘブライ語に近い言葉である。そして、初代教会で生まれた祈りの言葉である。

初代教会の信仰をよく表している言葉である。
「わたしたちの主よ(イエス)来てください」という祈りが教会の信仰の中心であった。


私の属する教会の名前は、セブンスデーアドベンチスト。
セブンスデーとは、第七日目の安息日を礼拝日として守り、
アドベンチストとは、主の来臨を待ち望む民、という意味である。
まさに「マラナ・タ」の祈りのこもった教会名である。



♪「主の食卓を囲み」という讃美歌をご存知だろうか?

、主の食卓を囲み いのちのパンを いただき
  救いのさかずきを飲み 主にあってわれらはひとつ
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように

2、主の十字架を思い 主の復活をたたえ
  主の御国を待ち望み 主にあってわれらは生きる
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように

3、主の呼びかけにこたえ 主のみ言葉にしたがい
  愛のいぶきに満たされ 主にあってわれらは歩む
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように
     マラナ・タ マラナ・タ 主の御国が来ますように

この讃美歌は、作詞、作曲ともに日本人によって作られた。
新垣壬敏(つぐとし)さんというカトリックの方で、この讃美歌はプロテスタントでも、聖餐式のときに歌われる。
新垣さんは1938年のお生まれでいらっしゃるので、この讃美歌は、讃美歌の歴史の中では新しい歌に入る。
教派の違いを超えて善きものを共有させていただけるゆたかさを感謝し神様を讃えます。


コリント第一11:26には「だから、あなたがたは、このパンを食べこの杯を飲むごとに、主が来られる時まで、主の死を告げ知らせるのです」とある。
主の食卓を囲んで聖餐にあずかることの意味がここにあります。

聖餐式には、主イエスの再臨を意識するのです
十字架の赦しによる主の救いの恵みを思い起こすとともに、将来の完全な救いに目を向けるのです。
イエスが来臨なさり、神の御国に引き上げられた時には、主と顔と顔を合わせるので、聖餐式は必要でなくなります。

パウロはコリントの信徒への第一の手紙の終わりを、聖餐式の「マラナ・タ」という祈りで結んでいます。


この儀式に参加することは、自分自身にも、また世の人にもキリストの贖いと再臨の約束の希望を宣言することになるのです。
「主の死を告げ知らせる」ということなのです。

ですから、信仰なしにはこの儀式の意味はわからないでしょう。
信仰は聖霊様の力です。
私たちの信仰は、自分の力や努力によって勝ち取るものではなく、聖霊様の導きに応じることによって頂く神様からの賜物です。

20日安息日は3か月ごとの聖餐式でした。
SDA教会は毎週ではなく、毎月ではなく、1年を4期に分けて1期ごと洗足式と合わせて行います。数日前の聖餐式の厳粛さがよみがえってくるような朝祷会のメッセージでした。


20日の礼拝説教で読まれた聖句です。

シオンのゆえに嘆いている人々に
灰に代えて冠をかぶらせ
嘆きに代えて喜びの香油を
暗い心に代えて讃美の衣をまとわせるために。イザヤ61:3

聖所でのささげもの犠牲の小羊は焼き尽くされて灰になります。
その贖罪を信じる者にとっては、灰は冠となるのです。
イエス様の十字架の犠牲によって、旧約のいけにえの儀式はひな形から実在のものとなりました。
そこで終わるのではありません。
犠牲の小羊となられたイエス様は、再臨なさる時には天使を従えて王となっておいでになられるのです。

マラナ・タ
主イエスよ、来たりませ!
と 私は毎日、祈ります。



追記
参加者の一人の牧師が祈祷会のあとの朝食会の歓談の後に言われた言葉がありました。
「神様の喜ばれることとは、神様と共に歩むことです」
朝祷会の、締めくくりにふさわしい素晴らしい一言でした。