ごきげんよう! さわこです

昨日の新約聖書の通読箇所はマタイ4章だった。
今日の安息日学校の分級で、「きかれた祈り、きかれなかった祈り」について子どもたちとディスカッションしたのだが、
その続きに昨日読んだマタイ4章からの気づきを分かち合うことにした。

マタイ4章はバプテスマを受けられたイエス様が霊に導かれて、悪魔に誘惑を受けるために荒野に行かれる場面である。
荒野でのこの試みによって、イエス様は人でありながら、本当に神の御子であることが証明されるのである。

この話、覚えてる?と聞くと5年生のHちゃんが
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」
と返ってきた。打てば響く、子供たちとの聖書の学び、分かち合いだ。

今日はね、ちょっと怖いお話をするよ。

怖いお話が好きなこどもたち、身を乗り出してくる。

サタンのお話だよ。サタンはね、聖書をよく知っているんだよ。
人間よりももっとずっと知っているんだよ。

さっき、「日々の祈り」を歌ったよね。
♪日々の祈り わたしの願いは 神を知ること 愛すること 主に従うことです

サタンは聖書を知っているけれど、愛がない!神様に従わない!

もし、あなたたちが、いくら暗誦聖句を励んでも、聖書物語を読んでも、愛と従うことをしなかったら?どうなる?

イエスさまの弟子ではなく、サタンの子分になっちゃうかもしれない。

だから、この讃美歌を祈りとして歌うことが大事なのよ。
そして、三つの祈りが大事なのよ。

お祈りしましょうか。Mちゃん、覚えている?
学校のお休みのたびに祖父母のうちにやってくるMちゃんは春休みに祈ったのだけれど、どうかな?
うん、覚えている と言ったのでみんなで祈った。

「イエス様、私の心に来てください。イエス様、私の心をきれいにしてください。イエス様いつも一緒にいてください。」

すると四つのお祈りもしよう!と子どもたち。
「天のお父様、ごめんなさい。ゆるしてください。愛しています。ありがとう。イエス様のお名前でお祈りします」とみんなで祈った。

一つのお祈りも!と子どもたち
「聖霊様がゆたかにそそがれますように」

一つの祈りは3年前、教団から「後の雨、先の雨を求めて聖霊の注ぎを求める777の祈り」が提案されたときに始めた祈りである。

聖霊様を求める祈りってどうして大事かわかる?
イエス様はこうおっしゃったのよ。

「人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、霊に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも、後の世でも赦されることがない。」マタイ12:31,32

イエス様を信じることも、神様のことを知ることも、全部、聖霊様のお働きなのよ。
だから、聖霊様のお助けを求めないで、聖書を読んでいては、間違えた読み方をしてしまうのよ。

たとえば、悲しんでいるおともだちに
「神様はいつもよろこびなさいって言っているから、悲しむのはよくないよ」
って、言ってしまうと、泣いている人は、責められる気持ちになってますます悲しくなっちゃうでしょ。
聖書には「悲しむものと、ともに悲しみ、喜ぶものとともに喜びなさい」ってみ言葉も「悲しむものはさいわいである」ってみ言葉もあるよね。
聖書の言葉も、間違えた使い方や不適切な使い方をすると、聞く人を苦しめてしまうことになる場合もあるのよ。
だから、聖霊様の導きを求めることが大事なのよ。

この日の分級の終わりのお祈りの時、Kくんはこう祈った。

「サタンは聖書の言葉を人間よりずっと知っていますが、愛することや神様に従うことをしていないことがわかりました。愛することができるように、従うことができるようになりたいです」

マラナ・タ
私もKくんと同じように祈ります。