ひさーしぶりに、ブログを開いて3年前の術前術後の日記を読み返してみました。
喉元過ぎれば・・・とはこのこと。
あの時の謙虚さがもう思い出せなくて、

今、私はとても傲慢な態度で暮らしていることに、はっとしました。

 

3年前どころか、この一週間に起こった様々な感動体験さえも、忘れそう。

今日の私、とっても感じ悪いです。

何がしたいの?どうしたいの?って自分にイライラ。
人さまとのご縁についても考え方が傲慢。
あれをキャンセルしてこっちにしようか、とか、目の前が全然見れてないです。

昨日まではパラダイスで愛にまみれてにいたのに、どうした?
 

そう、昨日まで、長野県の安曇野にある穂高養生園でのんびりと過ごしてきました。

今年の夏休みに娘と滞在したのですが、とても素晴らしい所ですっかり気に入り、今回はソロで。
丁寧にていねいに作っていただく食事と、毎日の散歩、瞑想・ヨガ。
原生林では裸足で歩き、まさに「いまここ」それ以外がない状態でした。

 

何かから無条件に全力で生かされていることが有難く泣いてました。
空や雲を見ては、あーぜんぶは愛が立ち現れてるよーとか呟いたりして・・・。

 

 

中でも、養生園で、トレガーアプローチというセラピーを受けた時は衝撃でした。
 

身体を触ってもらうのは好きで、オイルマッサージやエサレンなど、イロイロと体験してきました。

が、これはまったく別の気持ちよさ。

自分が液体になったような、
細かい砂が入った袋になったような、

不思議な感覚を経て、
最終的には、愛されまくっている仔犬になった感覚。

この感じです。

溺愛されているペットがめちゃくちゃ可愛がられてる感じ。

 

もう、生きてるだけで可愛いカワイイありがとうーと、

愛されて愛されて愛されまくった時間でした。

 

セラピスト曰く、全員まったく違う感想をもつとのことで、
誰もがペットになって可愛がられると感じるわけではないとのこと。

確かに、私も今までに体験したことのないアプローチに戸惑い気味で、
最初は、そこもさわる?とか、そっちに曲げる?とか・・・
え?ん??
と身構えそうになっていたのですが、笑。
もう途中から完全降参。


やられていることは、普通に服の上からさすったり、手足をあらゆる方向に動かしたりということではあるのですが・・・

どんどん感覚がとろけていき、

ただたた可愛がられ大切にされ赦されている体感でした。

 

そんなやさしい慈しみの眼差しで、私は誰かを見ているかなぁ?
というかそういった眼差しに気づいて受け取ったことなかったなぁ・・・。
でも神様は、人間同士がそんな愛のまなざしを交わすことを意図して、

手足などのアイテムや五感を人間を授けたのではないかなと思いました。

 

いつくしみの眼差し、そのまま全部が大切で愛しい。

その眼差しをもつことが、私が生かされた理由に違いない。

 

・・・とほんの数日前に感じたのに、

のに、

なんと情けない、このていたらく。。。

こんなに愛されて生かされているのに、

なんたるふがいさなさ。

 

安曇野から戻って一日、今日はすごーーーーく気分がざわざわしているのです。