差別は

たいてい悪意のない人がする

 

 

 

 

3月8日 国際女性デーでしたね

女性の自由や平等について考える記念日ですが

それに際し 前から読んでみたい本を手にとってみた

 

わたしもですね

傷つくことあります

逆に

無意識に誰かを

傷つけることもあるかもしれない

と考えることもあります

 

悪意のない人とは無意識な人のことだと思う

 

言葉は時に

刃物や暴力になりうることがある

 

それにわたしたちは

どれだけ気づいているだろうか

 

「同じ」(普通) ではないと

排他的な目でみる 態度を取る

口にはしませんが 言わないだけで

どこかでしていませんか

 

合せることが

「正しいこと」

であり

合せない人間は

「間違いだから」

という目で見ることもあると思う

 

それも多数側であれば

無意識にそうなるのではないだろうか

 

本書の表紙

鳥かごの鳥のイラストですが

 

鳥かごという分断されている状況

から何かに気づかないといけない

 

鳥かごに自らは行ったのか

鳥かごに入れたのか

 

人は無意識に

鳥かごを持っているということでもあるのかもしれません

 

 

プロローグ

「私は他人を差別していないという考えは勘違いであり、

思い込みにすぎなかった。

誰かに対して「真に平等」に接し、

その人を尊重するのであれば、

それは自分の無意識にまで目を向ける作業を経た上でなければならない。

いわば自分が認めたくない恥ずかしい自分を発見することである」
 

つまり 自覚である

自覚することほど大変なことないと思う

見たくない自分を認めることですから

 

アインシュタインは

 「常識とは 18 歳までに身につけた

偏見のコレクションでしかない」

とも言いました

 

差別をなくそう

と声高らかに言う前に

自分はどうなんだろうか?

と振り返る必要はある