あなたを閉じこめる「ずるい言葉」

森山至貴

 

 

 
 

 

加藤諦三先生の言葉に

「ずるさは弱さに敏感である」

と言うのがあります

 

ずるい人間は

弱い人間を嗅ぎ分ける

能力を持っている

 

ということです

 

ずるい人間 = いじめる人(または 人を傷つける人)

 

弱い人は 自分のことを弱いとわかっています

 

わたしなんかも

自分で認めていることが

弱さも持ち合わせていること

 

自覚しています

 

しかし 

弱さを自覚したことが 逆に強さになることもある

 

ずるい人間は なぜ 弱い人間を見つけることがうまいのか

 

人こそ人の鏡

という ことわざ がありますが

まさにそういうこと

 

ずるい人は 自分が弱いと

または 無力であるということを

無意識に知っていると思う

 

ですので 自分の弱さを見ないようにするために

自分が強く見えるように

または 自分が強いんだ上なんだと

錯覚させるために ずるい行動(いじめる)

という行動をとるワケです

 

わたしもですね

傷ついたなぁと思う場合あります

 

否定されたり

嫌い ずるい 空気読めと言われたり 

 

え?わたし悪いのか?

と思うことあります

 

一瞬 自分を責めようとしますが・・・

 

人こそ人の鏡

の言葉を思い出すようにする

 

人に放った言葉は自分自身がそうだということ

 

ずるい人(いじめる人)はどうして

ずるい行動をするのか

 

それは まっとうな方法では 自分が認められない

という無力感を抱えているからではないだろうか

 

しかし

わかりやすい いじめの他にですね

 

フレネミーというパターンも

ずるさであると思う

 

フレネミーとは

「friend / 友達」と「enemy / 敵」を組み合わせた造語

「友達を装う敵」という意味で使われていますね

 

そもそも

ずるい とは

自分の利益になるようにうまく立ち回る性質

ということですが

 

本書における

ずるい言葉は

仲良くしてそうだけど

 

うまく丸め込まれて

どうも自分が悪いようにされてしまう

利用されるやりとり 言葉が凝縮されて書かれています

 

 

本の裏側には

ずるい言葉が並んでいますが

 

あ・・・

言われたことあるなという言葉がずらり

 

「あなたのためを思って」
「もっと早く言ってくれれば」
「友達にいるからわかるよ」
「傷ついたのもいい経験だったね」
「私には偏見ないんで」
「昔はそれが普通だったのに」

 

これらの言葉に隠された

心理を解説

 

なんだか いいくるめられて

もやっとして

なんだかんだで終わってしまうこともありますが

 

言われた側のもやっとしたときの

考え方や対策が書かれています

 

流されず 自分らしさを生かすことが

所謂 多様性の時代を生きるために必要じゃないかな?と思う

 

なんであれ

向き合うこと

 

は必要です

 

自分で自分の弱さや愚かさを認めている今

あえて この本の扉を開く勇気が湧いてきた